山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

■ホームページ検索 ⇒ yamadashika-ec.com
■ゆめ機構・代表 

バークリー予防歯科医業の概要:2

2011-08-13 | 好結果をもたらす予防歯科医業:ロバートF.
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


特異な歯科医学上の諸問題を扱ったり、家庭管理を指導したりする歯科医療の伝統的アプローチが、真の歯科的健康を与えたり、増加する一方の多数の患者に対処するには不適当であることが明らかにされているとき、このような考え方の必要性はますます明白になってきている。さらに、平均的な治療を行い、保険会社へと導くことなく、この伝統的アプローチを保証することは極めて困難である。

この書物では、これらの諸問題を明確に示し、また著者がこのような考え方の中に当然含まれねばならないと感じている一定の諸要素を定義するために著したものである。

予防ー修正的アプローチをうまく進めていくことができるのは、患者が“他に依存することなく自立的に”健康になれるように、歯科医師が患者の潜在的な責任感を育むことができる場合にのみ限られる。このようにして得られる歯科的健康が、一度達成されると修正の緊張度が減少するので、すぐれた治療計画が可能となる。
歯科医師ー患者の関係は、特に患者の責任感と歯科医師の教育者としての役割という点に関して、この新しい考え方によって定義し直さなければならない。この定義のやり直しが、後生大事に守られてきた伝統を倒し、結果として歯科医師や歯科大学、保険会社、政府の諸機関に新たな決断をさせるよう、あらゆるレベルにおいて行わなければならないことはもちろんである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“新しい歯科”の軌跡ー第1回(2)

2011-08-13 | 「歯福のひととき」レターより転載
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


2:ほんの少し歯科医師の歴史を紹介

私たち現在の歯科医師のルーツは、1876年(明治8年)に明治政府が実施した医術開業試験に、自ら進んで歯科の科目で受験し、歯科免許第1号となった歯科医師・小幡英之助であります。

もちろん、江戸時代以前から歯医者らしきことを生業とする人は存在していました。「入れ歯師」、「歯抜き屋」とか呼ばれていたそうであります。

明治維新より10年前の日米修好通商条約の調印後、外国人歯科医師の最初として来日したのはアメリカの歯科医師であり、小幡先生も横浜で開業するエリオット歯科医師の門下生でした。以来、日本の歯科のお手本はアメリカとなります。
ですから、当時の最先端の歯科は、外国に向けて開かれた横浜と神戸であったのです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする