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山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

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■ゆめ機構・代表 

バス・メソッドの開発ー1

2017-11-30 | 「歯福のひととき」レターより転載
歯科医師・山田忠生


口腔内に存在している多数の細菌が歯に付着し、ある一定の時間が経過すると、歯や歯周組織に有害な作用を及ぼすことを発見したバス先生は、それを機械的に除去するメソッド(方式)を開発しました。

つまり、適切な条件を備えた道具(歯ブラシと、デンタルフロス)を用いて、適切なテクニックで、適切な時期にプラックを除去して清潔に保てば、ムシ歯や歯周病で苦しむことから解放されるということを提唱されたのです。

この、今では口腔ケアの主流となったバス・メソッドが世に出たのは1948年のことでした。しかし、60年前当時ではブラッシングといえばローリング・テクニックがメインで、1日3回、食後に歯を磨こうということが歯医者の薦める予防策でした。


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1オンスの予防は、1ポンドの治療に勝る。

2017-11-08 | 「歯福のひととき」レターより転載
歯科医師・山田忠生


ちなみに、16オンスで1ポンドであります。
バス先生は、次いで予防器具として一般的に入手できる歯ブラシと、フロスを調査されました。

そして、予防器具としてふさわしいものがないという結論に達し、自分で満足のできる製品を開発しようと決心されたのです。
もう、すでにリタイアした細菌病理学者から、新製品の発明家、プランナーに見事に変身されたのであります。


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そして、ドクター・バスの発見

2017-10-23 | 「歯福のひととき」レターより転載
歯科医師・山田忠生



バス先生が歯科疾患の原因の追究と、予防法について研究を開始されたのが1943年。そして当時、大学を退職された68歳という年齢でありました。

バス先生は矯正治療のために抜かれた歯から、貴重な資料を得ることに成功しました。つまり、ムシ歯の初期には、そのムシ歯が発生するエナメル質はチョーク様のモロモロとした形状となりますが、それらがすべて”プラック”が歯に付着している下のエナメル質に起こっていることを突き止めたのです。

数多くの細菌から構成されている”プラック”が歯の表面に付着していない限り、ムシ歯は発生しないことを発見したのです。そして加えて、そこには砂糖(蔗糖)が大きく関与していることも証明しました。
しかし、バス先生の研究はこれだけに留まりませんでした。


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すでに、レーベンフックが発見していた

2017-10-13 | 「歯福のひととき」レターより転載
歯科医師・山田忠生


オランダ人であるレーベンフックは最初の微生物学者、細菌学者であると称されていますが、そのレーベンフックは自らの顕微鏡を使って、歯に付着している微生物群を観察し、それをミクロコズムと表現し、いかに多量の細菌の塊であるかを大英帝国の人口よりも多いということを、ロンドン王室協会への1673年の手紙で述べております。

その後、さまざまな研究者による口腔衛生管理の考え方よ方法が考案され、提唱されました。なかでもアメリカの歯科医師パームリーは、熱心に口腔衛生の福音を説く、さながら宣教師のようであったといわれています。そして、そのための予防器具も開発しました。それらは150年近く経った今日でも基本的に変わらないものであります。

1859年にパームリー歯科医師は65歳で亡くなりましたが、彼の同業の歯科医師は彼の患者を、きれいな歯によって言い当てることができたそうであります。



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ドクター・バスの発見と発明

2017-09-23 | 「歯福のひととき」レターより転載
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


ドクター・バス(1875~1975)は、チュレーン大学医学部の内科医師であり、微生物学者であります。特に顕微鏡を使った研究を専門としていました。1941年に大学を引退した彼はルイジアナ州の慈善病院で、ほとんどの人がひどい歯科疾患に罹っていたことを思い起こし、1943年にこれを研究会代とすることを決心しました。

これは噂を越えない不確実な話題ですが、彼もひどい歯科疾患に悩み、歯科医師の許を訪れていましたが、当時の歯科医学は治療がメインで、予防的なことにあまり注意を払わなかったので、それなら自分で研究しようと思い立ったということです。


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