以下文は正論(平成22年8月号)、ネット資料等々を参考としています。
戦後、世界有数の経済大国になった日本、昨今は衰退している日本が正しいかも知れません。欧米思考が増え、本来の日本人が持っていた心の豊かさ、高貴さ(深い優しさ、深い慈しみ、深い愛、気品等々)は失ってしまったように思います。
戦後、GHQによる唯物史観(社会生活の基礎を物質的な生産力におき、社会の歴史的発展 が物質的生産に基づくことを示したもの。)を植えつけられ、全てが金、弱肉強食の世となってしまったように感じます。
日本人として大切な何かを失った昨今、先人達の文献等を読むと本来の日本人はこうではなかったようです。
特に高貴さ、高貴さと言うと日々の生活に何の役に立つかと思いがちですが、豊かな精神性の醸成に繋がると思います。例え貧しくても誰でも、先人達のように身につけることが出来ると思います。
以下の文は有名な文で、私達に日本人として忘れていた何かを訴えかけてるように思います。
ポール・クローデル(仏)
私がどうしても滅びてほしくない民族があります、それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。日本の近代における発展は大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。
どこの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。
古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。「彼らは貧しい、しかし、高貴である。」(高貴さ・・・深い優しさ、深い慈しみ、深い愛、気品等々)
当時のフランスはドイツと戦っており日本はドイツの同盟国、フランスから見れば敵国、ポール・クローデルは6年間日本に滞在し日本人と触れ合うことで気高さを感じたと記しています。
1923年に関東大震災が起こり、東京のフランス大使館も焼失してしまいましたが、その時ポール・クローデル大使はこういう文章を残しています。
地震日の夜、東京と横浜の間を長時間歩いている時、生存者達が群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。人々は悲しみに満ちた諦めの気持ちを抱いていた。廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も助けてくれ!こっちだというような差し迫った呼び声ではなかった。
どうぞ、お願いしますという慎ましい懇願の声だった。
地震後の日本人達の姿を見て、感銘を受けたと言うのです。
自分の身に降りかかった不幸を淡々と受け止めて、どんな困難な時にも、ものを頼む時の礼節を忘れない姿勢に心を打たれたと言っています。
昭和18年の秋、パリで晩餐会に招かれたポール・クローデル(1868年~1955年、フランスの劇作家、詩人、著作家、外交官)は、多くの参加者の前で上記のようなスピーチをしました
昭和18年と言えば、大東亜戦争の敗色が濃厚になってきた時期です。
ポール・クローデルは、大正10年~昭和2年まで、フランスの駐日大使を務めた人で、姉が彫刻家のカミーユ・クローデル、有名なロダンの弟子です。
当時、ポール・クローデルは姉を通じて、葛飾北斎や喜多川歌麿を知り日本の芸術に惹かれていました。
駐日大使として、第一次世界大戦後の海軍軍縮交渉、対日戦時債務処理、清国における利害の調整、公正な立場を取っていた日本に大変好意的だったそうです。以後、日仏文化交流のために、東京と京都の日仏会館設立に尽力しています。
ポール・クローデルは、劇作家、詩人、著作家ですが外交官でもあります。日本赴任中は能、歌舞伎等に大変に関心を持ち、京都等を訪ねたり、水墨画等を研究していたようです。有名な著作としては、「孤独な帝国・日本の1920年代」等の著作があります。
特筆すべきは、日本人の精神性を深く研究しています。
ポール・クローデルは天皇の特徴に、天皇に何か特別の国政上の行為があるように考えるのは不適切、不敬で天皇は日本では魂のように現存、天皇は常に存在、そして続くもの。
天皇が如何にして始まったのかは誰も正確には知りませんが、天皇が終わらないであろうことは誰もが知っています。
日本人は精神史の中に天皇を据えています。
日本人は、正月・元日に初詣に行きます、多くの人が皇室を戴くわが国の末永い平和と安寧を祈ります。
日本人の恭敬,尊崇,感情、自分達の周りには確かに何かが臨在、それを素直に受け入れる態度、それが儀礼、慎重な心遣いを要求していると感じる態度などが分かりました。
日本が神の国と呼ばれてきたのも、故なきことではありません、この伝統的な定義こそ、正しい完全な定義であると自分には思われます。
ポール・クローデルは、戦前多くの日本の物、人等に接し、見た結果、日本人を高貴と評価していたと思われます。