極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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三笠宮崇仁親王に思う。

2016-10-29 12:42:27 | 日本文化等

昭和天皇の末の弟の三笠宮崇仁親王が、都内の聖路加国際病院で10月27日朝、心不全でお亡くなりになられました。100歳でした。 激動の大正、昭和、平成を皇族の立場から見つめられました。謹んで哀悼の意を表します。
 
戦後は東大文学部研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩まれました。忌憚(きたん:縛りの無い)なく自由に意見を表明する三笠宮殿下の率直は広く国民に慕われました。

以下文は、「古代オリエント史と私」(三笠宮崇仁親王)、隠された十字架の国・日本(ケン・ジョセフ)、騎馬民族征服王朝説・古代史へのプロローグ、1991年(江上波夫)、ハーザー「HAZAH」誌・平成14年、ウィキペディア等々の資料を一部参考にしています。

 

三笠宮殿下は、日本の国体、天皇、皇室を深く探求された方てす。

戦前は、満州のユダヤ人のシナゴーグ(ユダヤ教・集会所)にも直接自ら足を運ばれ、多くのユダヤ人指導者からユダヤ情報を聞かれたとも言われています。三笠宮殿下は日本でヘブライ語を書き、喋ることが出来る数少ない日本を代表するユダヤ研究の第一人者でもありました。研究文書は皇室の立場上ユダヤと言う文字を使わず、「古代オリエント史と私」 単行本・1984・三笠宮 崇仁(著)として出版されています。

今でもアマゾン等で購入可能(中古でも5000円~10000円程度)です。(残念ながら、 発行部数等々のため、殆ど図書館には置いてないようです。)

 

殿下自身の研究結果でしょうか・・・昭和26年の神道会報に、神道とキリスト教を一つにしたらどうかとも述べられています。何故なら神道は絶対神ヤハウエの神を拝しており古代ユダヤ教、日本の神社はこの神を祭っていることになります。ユダヤの影響は日本の至る所にあります、身近な言葉として日本語には多くの古代ヘブライ語が存在しますし、アイヌ語、沖縄の方言に到っては3500程度等々が確認されるようです。(ハーザー「HAZAH」誌・平成14年、キリスト教・聖霊派月刊誌より。)

 

明治天皇も三笠宮殿下同様のことを言われているように思います。

明治天皇は、早稲田大学教授の畔上賢造氏から聖書講義を長きにわたり受けておられたとも言われています。明治天皇の内親王・仁(しのぶ)様の長男の小林隆利氏は、明治天皇の勧めで牧師となられました。忍様に子供が生まれたら、「牧師になれば、何時の日にか必ず役に立つことがあると思う。」と明治天皇は述べられ、自身は日本とユダヤの結びつきを理解されていたかも知れません。

昭和天皇もキリスト教に大変理解があり、戦後の巡幸でも幾つかの修道院を回られ礼拝を捧げられたと言われています。(ハーザー「HAZAH」誌・平成14年、キリスト教・聖霊派月刊誌より。)

これらの事実は報道されることはなかったように思います。

更に、文献等精査しますと明治、昭和、今上天皇もキリスト教に大変深い理解をもっておられますし、美智子皇后も深い心を寄せられています。今上天皇が少年時、家庭教師はキリスト教・クューカー教徒のヴァイニング夫人です。現皇后も聖心女学院出身です。

歴代宮内庁の田島道治宮内庁長官(キリスト教・無教会派)、宇佐美毅宮内庁長官(キリスト教・クエーカー)もクリスチャンです。今も多くのクリスチャンが宮内庁で勤務されています。

 

三笠宮殿下を語る場合、江上波夫氏との親交を語らなければ先に進みません。

中国景教研究(ネストリウス派キリスト教)の世界的権威である、東大文学博士の佐伯芳朗氏は「日本人とユダヤ人が同じルーツを持つ」との説を唱えられています。江上波夫氏は佐伯芳朗博士の弟子でもあります。騎馬民族征服王朝説を唱えた歴史学者、江上波夫氏と三笠宮殿下の親交は特に深かったと言われています。

江上波夫氏は1948年、「日本民族・文化の源流と日本国家の形成」と題するシンポジウムで、騎馬民族征服王朝説を発表されています。

説は「日本における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系騎馬民族の辰王朝によって、4世紀末ないし5世紀前半ごろに達成された」と推論しています。(騎馬民族国家、江上波夫・中公新書1991年11月)

発表当時は大きな批判を受けましたが、今でも学界では批判的です。私も上記本を読みましたが何も可笑しくなく、極自然な説に思えます。江上氏は2002年11月肺炎で亡くなられました。

江上波夫氏とは・・・

明治39年11月山口県下関生れ

昭和5年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業
昭和23年5月、学会誌向けの討論会で騎馬民族日本征服説発表

昭和32年、日本オリエント学会会長

昭和37年、東京大学東洋文化研究所長

昭和42年、東京大学名誉教授
昭和53年、古代オリエント博物館館長

日本オリエント学会は、オリエント史学者である三笠宮崇仁親王が提唱されて初代会長を努められました。
三笠宮殿下著、「古代オリエントと私」には学会設立の主旨が書かれています。

三笠宮殿下が日本オリエント学会の設立を発案、1954年4月、第1回準備会合時江上氏が参加しています。江上氏の騎馬民族征服王朝説発表6年後です。

我々一般日本人から見れば、天皇家にとって騎馬民族日本征服説は問題かも知れませんが、皇室自身は何ら問題としていなかったようにも思えます。

江上氏は、古代オリエント博物館の設立を発案し1978年館長になり、三笠宮殿下も博物館の評議員に名を連ねています。

江上氏は文化功労者として、天皇陛下より文化勲章(平成3年11月3日)を受賞されていますし、毎年正月、皇居での「講書始の儀」でも、昭和時代後半、昭和天皇の御前で騎馬民族日本征服説の概要を解説されています。(過去一時期、昭和の「講書始の儀」題目が出ていましたが、不思議と現在は全て削除されています。)この儀式は人文科学・社会科学・自然科学の各分野の権威者3名が選ばれ、天皇皇后両陛下が説明をお聴きになると言われています。学者の選定は宮内庁が行っているようです。

激動の大正、昭和、平成期を皇族として過ごされた三笠宮崇仁親王、日本を代表するユダヤ研究の第一人者でもあった三笠宮崇仁親王が書かれた「古代オリエント史と私」は、私達日本人が未来永劫、大切にすべき著書であることは間違いないと思う昨今です。


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