中村氏がLEDの実用化でノーベル賞の受賞が決まった際の会見に違和感があった。
かって在職し、LEDの開発のスタートとなった日亜化学に対して、怒りをぶちまけていたからである。
特許の報酬について、会社側と対立し裁判で争われた経緯から、会社に対し不信感を抱いて米国に渡ったことは理解できるが、ノーベル賞を受賞し充分に世界から認められたのだから、あそこまで云わなくてもと感じた。
又、当時、個人の特許の権利は社会的にも充分でなかった。
不満はあっても、日亜化学で開発に従事していなかったら、この栄誉はなかったかもしれないことも事実である。
文化勲章の受賞式の後の記者会見で日亜化学と和解したい旨の発言があったのはとても良かった。
他の受賞者も云っているように、研究開発の成果は一人だけの力によるものではない。
世話になった徳島大学に賞金の半額を寄付するとのことだが、地方大学で研究を志している若者にとっては朗報である。
これがきっかけになり、地方の発展に寄与することになれば、中村氏本人にとっても本望であろう。