「あほリズム」(623)

2019-12-18 13:09:34 | アフォリズム(箴言)ではありません

 古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「万物流転(パンタレイ

panta rhei)」を唱えたが、何も改まって言われなくとも何れ老い

さらばえて死に去る者にとっては自明の道理である。が、芽生えた

生への執着から道理に抗って一時もこの世に留まっていたいと思う

のは何も人間だけに在らず、全ての生き物が願って已まないことで

はあるが、そこで道具を使う人間は延命のための様々な薬品や装置

を用いるが、そもそも全身が寿命を迎えようとしているのに個々の

不具合をいくら改めてもたぶん一時的には老いを忘れることができ

たとしても、何れバランスを欠いた全身が再び若返ることなど起こ

るはずがなく、右足を痛めた人が左足で庇うあまり、右足が治った

と思ったら今度は左足が痛みだした、というのは良く聞く話で、人

間の体は微妙なバランスの上に安定を維持しているのだ。たとえば、

入れ歯をすることによって何でも食べられるようになって旺盛な食

欲が戻ってきたとしても、すでに消化器官は消化吸収する機能を衰

えさせていて過剰摂取による新たな弊害が生じて、するとすぐに薬

に頼って消化剤や整腸剤を服用し、やがて常用するようになり、遂

にはその副作用でポリープができ、悪性化して切除手術を受け、し

ばらくすると転移が見つかり、そうなればもはや病気の機嫌を伺い

ながら生きるしかなく、健康な日常生活はほとんど失われひたすら

絶望へと堕ちていく終末が訪れる。要するに、生成の世界とは「万

物流転」であるとすれば、万物(自然)に抗って流転をくい止めるこ

となどできないのであれば、流れに身を任せて生きることは恨みを

残さない死に方なのかもしれない。

 長くなってしまったが、そもそも我々が生命の存続を科学技術に

依存している限り、いわゆる地球温暖化問題は改善されることはな

いのではないかと思ったからで、我々が終末期を迎えた時、科学的

な治療への依存を拒んで、敢えて、ただ自身に備わっている体力だ

けで自立した死を択ぶことができないとすれば、つまり投薬やさま

ざまな医療機器に頼らずに人生を終えることができないとすれば、

とても温室効果ガスの排出を減らすために科学技術への依存を見直

す、たとえば飛行機には乗らないでヨットで行くなどという選択さ

えもたぶん意味を失うようになるに違いない。つまり、我々が自ら

の生存を科学技術に頼っている限り、科学技術がもたらす様々な問

題を克服することなど到底できないのではないか。


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