「あほリズム」(621)

2019-12-16 09:26:42 | アフォリズム(箴言)ではありません

           「あほリズム」

 

            (621)

 

 今やわれわれ近代人にとって「進化」と言えば技術や道具(機械)

の進化のことしか思い浮かばないが、しかし、そもそも「進化」と

は「生物進化」、即ち我々自身の「能力進化」のことで、さて、な

るほど近代社会は様々な技術進化によって画期的に進化したが、そ

れでは、そもそもの「生物進化」はどうなっただろうか。果たして

我々の本能に備わっている身体能力や思考能力は衰えていないだろ

うか?たとえばメガネは我々の視力を《より進化》させてくれただ

ろうか?それどころか、もしかしたら技術進化こそが我々の身体能

力を退化させていないだろうか?

 

             (622)

 

 技術進化への依存が自立した能力進化を妨げていないだろうか?

 


「自己責任論と殺人」のつづき

2019-12-16 01:46:54 | 従って、本来の「ブログ」

         「自己責任論と殺人」のつづき


 もちろん一概には言えないが、人は誰かを殺めることを決意する

時には当然自分自身にもそれ相応の責任が問われることを充分認識

した上での決意に違いない。つまり、他人を殺める決意の前に自分

自身の死についても考え及ばないはずがない。縦しんば裁判で死刑

を免れたとしても、それまでの社会生活がすべて失われることは明

白である。それにも拘らず他人を殺めようと決意するのは、自分の

命を犠牲にしても相手との関係を転換させたいという強い思いから

だろう。人は誰かを殺めなければならないと決意する時とは、そう

しなければとても自分は生きていくことができないと思ったからで

、誰かを殺める前に今在る自分を殺すのだ。そして、自死の代償と

して殺意が芽生える。

                         (つづく)