「結果が原因を創りだす」―2

2011-02-06 00:32:50 | 「パラダイムシフト」
  



        「結果が原因を創りだす」―2



 まず、取り上げる書物を読んでないことを断わった上で、更には

私の貧しい認識を承知の上で、つまり「由なし事」を記します。

 チュニジアで起った「ジャスミン革命」が一人の青年の焼身自殺

が原因で起ったとすれば、そんな些細な原因が、もちろん青年にと

っては命を賭した一大事ですが、国家を転覆させる結果をもたらす

ほどの起因たり得るだろうか。そこへ至るまでには誰もがこのまま

の政治では良くないと思っていたことでしょう。つまり、多くの国

民が「社会を変える」という結果を切望していた。青年の抗議自殺

は「政治を変える」という結果を待ち望んだ民衆が創りだしたキッ

カケに過ぎないのではないだろうか。

 それでは中世西欧社会を席巻した「宗教革命」は、マルティン・

ルターが現れてヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の論題」を

張り出さなくても信者は俗物化したローマカトリック教会に対する

不信から何れ信仰を見捨てただろうか。ただ、革命の原因といわれ

るルターと焼身自殺した青年の違いは、ルターは単に腐敗した教会

への抗議を行っただけでなく、司祭として、戸惑う信者に信仰が本

来よりどころとするべき預言者キリストの言葉「聖書」への回帰を

訴えたことにあるのではないだろうか。一方、焼身自殺した青年は、

もちろん不条理な政治に抗議したが民衆を導く社会のあるべき姿ま

では当然語らなかった。「社会を変える」という結果はそれぞれの

原因によって達成されたかもしれないが、「結果が原因を創りだし

た」ジャスミン革命と、本来あるべき信仰を訴えて「原因によって

結果を創りだそう」としたルターとは違うのだ。ただ結果が創りだ

した原因ではなく、自分自身が原因となって結果を創りだすこと

が人間の本来の姿ではなかっただろうか。たとえば、我々は余

りにも結果に頼りすぎて自らが「原因となって結果を創りだす」


ことから逃避していないだろうか。

                                

                                (つづく)



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