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(五十二)

2012-07-11 09:35:02 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十一
                  (五十二)



 次の日の朝は、昨日の暑さがコンクリートに留まって、夜にな

っても回収されないまま翌日に繰り越され、寝ていても嫌な寝汗

に悩まされて、睡眠が満たされないまま目覚めた。陽が昇る前か

ら残された熱で、今日一日の暑さとの戦いを早々に諦めて、どこ

かへ逃げ出したい気持ちだった。ただ、テレビの画面には新緑の

梢が涼しげにそよ風に揺れていたが、それが余計にむかついて、

見ている者を暑くした。

 サッチャンがやって来る広場は、いつもは暑さを避けて閑散と

しているが、今日は彼女のファンやそうでもない人々が集まり、

陽が昇るにつれて小さくなる日陰に佇みながら、午後から始まる

彼女のライブを汗を流して待っていた。彼女が立つであろうステ

ージには、彼女が在籍する例の学校の生徒達によって複雑な機材

が据えられていた。私は普段と違うその様子を見て、今日は出た

くなかったが、サッチャンにバロックのことを伝えなければいけ

ないと思って仕方なく画廊を開いた。正午を越えた太陽は人々の

脳天を垂直に炙った(あぶった)が、広場にはさらに人が溢れ、

ついには駅のコンコースまでも人で埋まり、通行の妨げになると

駅員がマイクで叫んでいた。ただ、この無為に佇む人々はするこ

とが無いので、何時もは関わろうとしない私の絵にも関心を向け

て、そのうちの何人かは買ってくれた。誰もが待ちくたびれて、

このまま何も始まらなければ脳天を炙られた人々が何を仕出かす

か分からないと思い始めた頃、一台のマイクロバスが進入して来

て、窓から窺える彼女の姿に、沸騰したファン達がその熱を喚声

に換えて一斉に発したので、辺りの温度はさらに上がった。ついに

、思わせ振りにサッチャンがドアを開けて現れたが、彼女は幾らも

歩き出さないうちにファンに取り囲まれてしまった。世間の注目を

受けるという事はこんなにも物事が前に進まないことなのかと呆れ

てしまったが、すこし経ってあの生徒達に護られながら駆けって、

かつてスターへの一歩を記した駅前広場への凱旋を果たした。彼女

は白のTシャツにジーンズというシンプルな格好で、ほとんど化粧

をしていないのか、それともそういう化粧をしているのかのどちら

かだった。あんなに拘っていた髪は後ろで束ねてオフを強調してい

た。彼女はさっそく私を見つけ、辺りを見回しながら、

「バロックは何処にいるの?」

と聞いてきた。私は正直に彼が東京を出て行ったことを告げた。

すると、彼女は急に悲しそうな顔をして、

「そんなっ!」

と言って泣き出した。彼女は、今日の事を随分前からバロックに

伝えて、バロックのギターで歌うということでこの企画に応じた

らしい。彼女はすぐに番組のスタッフに駆け寄って怒りを露にし

た。私はどんな経緯があったのか知らないが、涙を気にもせずに

男のスタッフに抗議する彼女を見て、随分強く為ったと思った。

 彼女はそれでも決められたスケジュールを無難に熟(こな)し

た。演奏はもちろん彼女に付いているバンドが演った。ヒット曲

「エコロジーラブ」を歌った後は集まった人々の力強い拍手がビ

ルの谷間にこだました。ただ、バロックのギターであの頃の様に

歌うことは無かった。サッチャンは自分のライブが終わった後も、

そこに居た路上ミュージシャンをステージに呼んでカメラに収録

させた。私の絵も随分撮られた。

「アート、絶対にテレビに流すからね。」

彼女はそう言い残して、再びファンの中に飛び込んでいった。そ

れは例えが悪いが豚小屋に餌を放り投げた時のように、集られ

てサインをしていた時、突然、大粒の雨が沸騰した人々の脳天

に落ちてきて、間違いなく「ジュッ」という音がして、すぐに、

さっきまでの晴れ間が嘘のような大雨になった。思いがけず脳天

を冷まされた人々は我を取り戻したかのように、激しさを増す雨

の中を四方八方へと走り去って、サッチャンだけは雨の中をゆっ

くりと歩いて、私に手を振ってからバスに乗った。

 その日の夜には彼女に教えたK帯が鳴り、バロックが居な

くなった顛末を教えた。彼女は私の話を言葉少なく聞いていた

。その日の雨は止むこと無くいつまでも降り続いた。

                                    (つづく)


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