「ラジオ体操と共同幻想」⑨-5の補稿ー2
かつて「日本の常識は世界の非常識」とよく言われたが、そもそ
も世界の常識とはいったい何だったのかと言うと、大体やね、欧米
世界の常識である。つまり、そこにはアラブ世界やアジア・アフリ
カ世界の常識は含まれていない。ただ、わが国の言論人が欧米先進
国に肩を並べんが為に欧米文化しか見ようとしなかったからに過ぎ
ない。しかし逆に、日本社会から欧米社会を見て「欧米の常識は日
本の非常識だ」と言ったってかまわなかった。ところが、われわれ
は明治維新以来近代国家を目指すために「日本の常識」を捨て「欧
米の常識」に盲従してきた。儲け過ぎだと言われれば自己規制し、
また、その一方で内需拡大を求められれば、限界集落にりっぱな集
会所を造ったり、また、クマのためにけもの道を舗装してやったり
と穴を掘って埋めるだけの無駄な公共工事に巨額の税金が使われた。
たしかに非常識極まりない無駄遣いだったが、それらは欧米、取分け
アメリカ政府の「常識的な」要求に答えるためだった。今ある債務の大
半はその頃に生まれた。私は何も親米経済評論家の所為だとは言う
つもりはないが、エコノミックアニマルと揶揄されようが日本の非常識の
方が遥かにこの国を誤らせなかった。つまり、われわれは世界の常識
に従って非常識な負債を抱える羽目になったのだ。世界の常識に従って、
自ら角を矯めて身を滅ぼした。
(つづく)
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