「ラジオ体操と共同幻想」⑨-5の補稿、の補完
ことさら帰国子女たちが日本の伝統文化に拘ると記しましたが、
これは前から感じていたことなんですが、われわれは学問を修める
と言う時の「学問」とは、かつては仏教や四書五経などの中国文化
だったが今や西洋科学文化です。何も外国に留学して勉強しなくて
も日本はすでに学問に於いても世界屈指の科学大国ですから、帰国
子女だけを取り上げることは多分誤りですが、すでにわれわれの思
考は西洋的であると断言してもいいでしょう。少なくとも学問にお
いては西洋文化である絶対主義や競争の原理に洗脳されている。敢
て「洗脳」と言いましたが、そうした思考に洗脳された視点から日
本の伝統文化を見れば、何というか進化から取り残された感がある。
たぶん欧米列強が科学技術の発達によって世界支配を企まなければ
われわれは依然自然環境に従って生きることに何の不満もなかった
かもしれない。誰もが不自由である社会には不自由は存在しない。
鉄道が敷かれて初めて歩いて行くことが不自由になった。話しは逸
れましたが、もちろん留学して勉強するとなると何も後進国に行く
人などいないでしょうから、成り上ったばかりの日本を後にして西
欧先進国で暮らすとなるとその違和感に戸惑うことでしょう。いく
ら勉強をするためと言っても、生活するためにはその国の言葉や風
土や文化と無縁で居られるはずがない。つまり、留学生や或いは他
所の国に長く暮らす人々は頭脳だけでなく感情までもその社会に溶
け込まなければ暮らしていけない。するとその国の人々がいったい
何を心の拠り所にして暮らしているのかが次第に見えてくる。ただ
豊かさだけを追い求めて生きているのではなくて、人々を繋ぐ社会
観念に伝統文化や取分け宗教の影響が色濃く残っていることに気付
く。人々の心の空白を埋めているのは受け継がれてきた信仰や伝統
文化で、繋がった糸を手繰り寄せれば大地に埋まったその根本には
キリスト教世界観がある。異教文化を目の当たりにすると人は何と
も言えない疎外感に襲われる。それは、宗教は「これこそメシアだ」
と「最後の言葉」を語るからだ。しかし、人間は決して絶対真理な
ど求めて生きていない。そんなものが啓示されればどうして生きる
ことなどできるだろうか。また話しが逸れましたが、こうして異国
に留まって生活する「無」教徒たちはカルチャーショックを受け、
自らが拠って立つべきアイデンティティーを模索し始める。当然、
日本人であれば日本の伝統文化に帰着する。ただ、それは先進国の
異文化に啓発されて見直されたもので、西洋文化に憬れを抱く多く
の在日日本人にとっては今更の感は否めない。つまり、在外日本人
と在日日本人の視点と違いと視線の方向性にズレを感じる。内側か
ら生まれる動機をいくら外側から煽っても上手くいかないような気が
する。だってさ、ビートルズのオルタナティブ(代替品)に美空ひばりを
聴くなんてありっこないじゃん。
(つづく)
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