「依存と自立」④
そもそも社会とは個人が生きていく為の言わば手段に過ぎなかっ
たが、社会が近代化して個人の社会への「依存」が高まり、遂には
社会が目的へと倒錯する。管理社会とは社会に「依存」する個人が
社会に管理される社会である。いずれAI(人工知能)によって管理
されるのだろうが、個人は「自立」精神を見失って、自らの生死ま
でも「安心して」社会に委ねるようになるに違いない。すでに我々
は生存に伴う様々な問題を科学技術に「依存」して、移動手段の発
達、作業の機械化、通信技術の進化、医療技術の進歩など、どれも
近代生活を送る上で欠かすことのできない生活手段である。その結
果、タイムロスの減少、生産性の向上、情報の共有化、疲労や苦痛
からの解放などといった、おおよそ昔の人々が切実に望んだことが
今では実現されている。すでに世界は情報のグローバルネットワー
クが網羅され、近代生活を洗脳された者が今さら近代社会への「依
存」を絶って、自然環境にもどって「自立」した生活など望まない
。それは檻の中で育った家畜が檻から出されることを望まないのと
同じである。「依存」によって生きてきた家畜は「自立」して生き
る能力が退化してしまう。つまり我々は近代社会に「依存」するし
か生きられない家畜化への道を歩んでいるのではないか。そして家
畜とは自らの生死までも飼育管理者に「依存」する矯正された生き
物のことである。
(つづく)
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