(三十三)
サッチャンがラジオ番組で語った一言は、彼女の知名度の低さの
せいか何の問題も起きずに忘れ去られた、かのように見えたが、後
で知った事だが、やはりラジオ局には抗議の電話やメールが殺到し
ていた。ラジオ局は表沙汰にはしたくなかったのだが、ネット上で
もその話題のスレッドが立ち、そこには雲霞のように賛否の書き込
みがされて、その臭いを嗅ぎ付けた三面記者が、それを紙面を埋め
る為の小さな記事にした。その記事が発端となって、ラジオ局は隠
し通すことが出来なく為り、謝罪会見をする破目にまでなってしま
った。
「出演者の『サッチャン』の発言が、ラジオを聴いて頂いた聴視者
の皆様に不快な思いをさせまして、誠に申し訳ありませんでした」
テレビのワイドショーで取り上げられたこの会見は、畏まった場で
、ラジオ局の部長が発した「サッチャン」という言葉が妙に新鮮に
聞こえて、質問をする記者もやたらと「サッチャン」を連呼しだし
て、神妙に始まった会見は何時しか笑い声が漏れるほど和んで終わ
った。それでも、彼女の歌を番組のエンディングに流していたテレ
ビ局は、ラジオ局と同じ系列だったが、その週から別の歌手の曲に
差し替えた。彼女が縋り付いていた縄は今まさに切り落とされよう
としていた。彼女は自分の歌を聴いて貰う大きなチャンスを失った
のだ。
ところが、ネットでは「サッチャン」での検索は増え続けて、そ
れがきっかけで彼女の歌のすばらしさが改めて認められて、K帯着
歌のダウンロードが驚くほど増え、さらにCDの売り上げも、天に
在す神様が彼女が縋った縄をたぐり上げているかのように、急激に
伸びていた。そして、ついには著名な言語学の教授がその問題につ
いてテレビの中で、「彼女の発言は誠に正しい。名前とは人に知っ
てもらうためにある。ところが昨今の名前に使われる字とその読み
は、甚だしく乖離して、まるで身内だけが判れば良いかのように、
他人に認識してもらうことを拒否しているようにも見える。それは
『うちの家では林檎のことをイチゴと呼んでます』と言ってる様な
もので、家の中だけなら問題に為らないが、著しく社会性を逸脱し
た命名である。このことは、人々の社会性が希薄になった事と関係
するのかもしれないが、彼女の指摘は我々専門家こそが警告するべ
きだ ったと反省しなければならない」
と語った。すると今度は、すでに我が子に「読み仮名クイズ」のよ
うな名前を付けた親達が激しく抗議した。こうして「サッチャン」
のひと言は、社会を巻き込んだ議論に発展してしまったが、御蔭で
というか彼女の「サステイナブル・ラブ」は急激に売り上げを伸
ばしていた。
(つづく)
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