(十四) 

2012-07-11 06:01:46 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
             ゆーさんの「パソ街!」(十四) 

                                                     
  「理由(わけ)のわからないことで 

  悩んでいるうちに

  老いぼれてしまうから 

  黙りとおした歳月(としつき)を

  拾い集めて 暖めあおう」

  (「襟裳岬」一部抜粋 作詞:岡本おさみ)

 
 北国のみじかい秋は、豊かな実りと共に多忙をもたらす。それは

我々ばかりでなく、山に棲む生き物たちも厳しい冬を越すために、

過労を惜しまず精を出していた。一段落がついて、晩秋と初冬が重

なりながら訪れる頃、ついこの前までサラサラと涼しい風音を届け

てくれた青葉も、気が付けば紅葉してカラカラと乾いた別れの言葉

を残して大地に還った。人は、たぶん秋に歳をとる。秋が、人を物

想いに老けさせるのだ。そして、「黙りとおした歳月を、拾い集め

て」振り返える。

「ああ、なんて理由(わけ)のわからないことで悩んでいたんだろう」

と。

 わたしは元妻のK帯に電話した。もしも娘のミコに何かあれば連

絡することになっていた。

「どうかしたの?ミコ」

「いや、元気にしてる」

ミコは、あの後すぐに回復してケモノと共に山の中を駆け回ってい

た。

「じゃ、何の用?」

「いやっ、別に、何もないが、ただ・・・、」

「ただ、何よ?」

「あの・・・、もし、修行が終わったら、お前、どうするつもりか

なと思って」

「どうするって?」

「あの・・・、もし行くとこがなかったら、ミコのそばに居てやっ

てくれんか?」

「・・・」

「もしも、その気があるなら、ここで暮らせるようにしておくから」

「・・・」

「もっ、もしもし!」

「聞いてるって!」

「あっ!もう、お前のやることに文句は言わんから・・・」

「・・・」

「あの・・・、もう一度、家族で暮らさないか?」

彼女は何も応えなかった。ただ、嗚咽する音が聞こえた。いや、そ

れはわたしのものだったのかもしれない。

 「日々の暮らしはいやでも

 やってくるけど

  静かに笑ってしまおう

 いじけることだけが

 生きることだと

 飼い馴らしすぎたので

 身構えながら話すなんて

 ああ おくびょうなんだよね」

(「襟裳岬」より一部抜粋 作詞:岡本おさみ)

 木枯らしが吹き、未練を繋いでいた紅葉がいっせいに大地へ還る

と、木々はみすぼらしい骨格だけになって山々は彩りを失くした。

まもなく、彩りを補うように白雪が舞い、舞台は冬へと幕が変わっ

た。生き物たちは厳しい自然の淘汰を耐えようと巣穴に籠もったに

違いない。山から生き物の気配が失せ、静けさがうるさかった。冬

の厳しさは生き物たちに生きる決意を強いるかのようだ。朝の光を

反すほどに山々に降り積もった初雪は、木々のみすぼらしい姿さえ

も覆い隠して、景色が一変した。

 農閑期を迎えると、我々はさっそく水流発電機の普及に取り組ん

だ。バロックを営業課長にして、地元の役所に駆け合って河川の使

用を認めてもらおうとした。自然循環に適った生活とは、まず、何

よりも自然エネルギーの下で暮らすことから始めなければならない。

エネルギーの地産地消こそが自然循環型社会の根幹なのだ。産業の

ない山間の集落に人々の定住を促して、最低限の電化生活を維持し

て暮らそうとするならば、ライフラインを大手企業や中東諸国に頼

っていてはとてもまかなえない。ただ、今までの生活水準を維持し

ながら自然循環に適った暮らしなどできる訳がない。我々はどうし

ても失くすことができないもの以外を棄てなければならなくなった

のだ。

 わたしはバロックにここで定住する人を募るつもりだと打ち明け

た。すると彼は、

「むつかしいと思うで」

「何で」

「生活、変えれんやろ」

「やっぱりそうか」

わたしは、CS発症者の二家族を受け入れる用意をしていると打ち

明けた。

「あっ、それならええかもしれん」

「うん。もし知った人がいれば誘ってみてえや」

「わかった」

すでに我々の農園はわずか三人では賄い切れなくなって、どうして

も人手が必要だった。

 年の瀬は慌しかった。というのは「虫食い農園」の会員に正月用

の餅を送るために搗(つ)かなければならなかったからだ。今年はそ

の量が一機に増えた。それでも自然循環に拘る我々は臼と杵で人力

で搗いた。ところが、遂にバロックが音を上げて、

「もう来年は機械にせえへん?」

「・・・」

わたしは躊躇(ためら)った。もちろん、楽をして済むならそれに越

したことはないが、我々が楽をした分は自然環境に負わせることに

なる。それよりも、一たび安楽な方法を手にすれば、安楽に作業す

る方法はこの文明社会には幾らだってある。何故なら、近代文明と

は一言でいえば楽をする為の文明なのだ。耕すことが骨が折れるな

ら耕耘機を使えばいいし、害虫が疎ましければ農薬を撒けばいいと

思うようになる。そして、遂には自然循環に適った生き方などきっ

とどうでもよくなって、何もこんな山の中で文明に背を向けて暮ら

さなくたって便利な都会で楽して暮らせばいいと思うようになる。

しかし、そもそも人間は安楽に生きるために生まれてきたのだろう

か?もしも安楽が生きる目的なら、生まれて来なかった方がはるか

に楽ではなかっただろうか。我々は安楽を手に入れると同時に苦悩

を忘れ、しかし、その苦悩の克服こそが知性を与えられた人間の生

きる意義ではなかっただろうか。苦悩を投げ出して安楽だけを追い

求める時、我々は家畜へと堕落する。苦しみから逃れて安楽を求め

るのは、まさに家畜や奴隷の生き方そのものではないか。果して、

我々はただ安楽を得るために自らの意志や誇りを投げ出していない

だろうか。自分以外のものに縋って生きようとしていないだろうか。

「そうや、水車を使おう!」

「水車?」

「うん、水車!」

「そんなんあった?」

「いや、作ろう」

「えっ?なんか、だんだんアーミッシュ(*)みたいになってきたな」

 すると、すぐにミコが厭きれたように言った、

「お父ちゃん、うちらの電気って水流発電やろ」

「ああ」

「何もわざわざ水車で搗かんでも、同じことちゃうの」

「あっ、そうか!」

それで何もかも解決した。来年からは餅つき機を採用することにな

った。

 新年は、近くの温泉で迎えることになった。持ち主が高齢のため

維持管理が儘ならず今年で閉鎖するので、近くの者を招待してくれ

た。その温泉は、ミコが唯一浸かれる塩素消毒されていない源泉掛

け流しの湯だった。山間の鄙びた山村にただその温泉宿だけがあっ

た。かつては効能を求めて賑わっていたが、今では不便さから訪れ

る湯治客も減ってしまった。

「誰か管理してくれる人が居れば続けたいんだが」

ミコが縋るようにわたしを見て、

「ウチがしょうか?」

「あほ、ごはん誰が作るねん。農園もあるし」

「あっ、そうか」

「分かりました、誰か探しましょう」

わたしはミコの思いに引き摺られて安請け合いしてしまった。湯か

ら上がると新しい年を迎えていた。座敷へ戻ると、

「明けましておめでとうございます」

主人がそう言って、囲炉裏の自在鉤に掛けられた鍋に、我々が持ち

込んだ餅を雑煮に拵えてくれた。雪見窓からは大晦日(おおつごもり)

から止まぬ粉雪が音も立てずに新年の門出を雪ぎ清めていた。

                                                         (つづく)

                       
 (*)アーミッシュ・・・アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中
              西部などやカナダ・オンタリオ州などに
              居住するドイツ系移民(ペンシルベニア
              ・ダッチも含まれる)の宗教集団である。
             移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧
             畜によって自給自足生活をしていること
             で知られる。原郷はスイス、アルザス、
             シュワーベンなど。人口は20万人以上い
             るとされている (ウィキペディアより)

                                 

[作者より]

「ゆーさんの『パソ街!』」をプロットを大幅に変更して再開するこ

とにしました。多少繋がりに無理が生じるかもしれませんが、許して

ください。更に、パソコン(2003年製XP)はもう使えなくなったと思

われますので、更新が滞ると思いますが、震災の被災者の辛苦に比す

ればなんでもありません。これからもよろしく。

               「ネカフェ」より  ケケロ脱走兵


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