(十八)

2012-07-11 05:49:11 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
                  (十八)



「あっ!ツバメ」

ミコの声に誰もが苗を持った手を止めて空を見上げた。

「なんか飛び方下手やな」

池本さんの一人娘あやちゃんが田んぼに足を取られたままお父さん

を振り向いてそう言った。池本さん一家は是非とも田植えを体験し

たいと言うのでそれに合せて来ることになった。田植えが初めての

あやちゃん一家にはミコが着きっ切りで教えた。化学物質の被曝か

ら解放されたあやちゃんは、ミコに促されてパンツのように、いや

メガネのように久しく覆っていたマスクを恐る々々剥いで、爽やかな

春風をまるで初めて呼吸をするかのように口を開けて吸い込んだ。

そして、お母さんを見てニコっと笑いながら何度も繰り返した。

 わたし達の田んぼは山の傾斜に造られた棚田で機械が入れなか

ったので毎年手植えするしかなかった。下の棚田ではわたしがバロ

ックの友だちと共に手を止めて薄曇りの空に目をやった。確かにツ

バメは風を切って翔ぶイメージとは違って何かパタパタと溺れている

ように見えた。

「きっと疲れているんやろ」

わたしの応答にあやちゃんが、

「何で?」

「そら、遠いところからずーっと飛んで来たんやから」

「あっ、知ってる。飛びながら寝るんやろ」

「へえーっ!あやちゃんそんなことまで知ってるの、すごいな」

「本で読んだことがある」

あやちゃんは小学校に入ってから発症したため、学校には通えず、

専ら自室に籠もって本を読むことが楽しみだった。但し、その本で

さえも化学物質を被曝させる厄介な代物だった。

 池本さんは和歌山出身で大阪市内で飲食店を営んでいたが、あや

ちゃんがCSを発症してから地元へ戻りオーガニックに拘った食堂

を夫婦二人で始めた。しかし、食堂は人の集まる場所でなければな

らず、たとえ熊野の大自然が控えていても育ち盛りの娘を高齢の母

親に預けて独り避難させるわけにはいかなかった。そんな折、CS

患者の集まりで偶々顔を合わせて池本さんの方から気さくに声を掛

けて来てくれた。司馬遼太郎によれば、紀州弁には元々敬語という

ものがなく誰もが上下関係を憚らず自由に語り合える開放的な土地

柄だったという。その所為で、明治維新で新政府が広く官職を一般

から登用した際、和歌山県出身の若い官吏たちは上役の者であれ

年配の者であれ平気で「お前」と呼び捨てにして(紀州弁では決し

て蔑称ではなかった)馴れ馴れしく話し掛けて顰蹙(ひんしゅく)

を買い、冷や飯を食わされたり失職したらしい。ただ、大阪人にと

ってさえも和歌山弁の持つ馴れ馴れしさは驚かされる程で、遠慮の

ない言葉は序列秩序を重んじる社会の下では逆に軽薄に見えた。判

り易く言えば、丁度、毒カレー事件の女性容疑者がメディアを通し

て喋った言葉が和歌山弁そのものだった。もちろん、池本さんは大

阪でも永く暮らしていたのでその辺はよく弁(わきま)えていたが、

奔放で飾らない性格は紀州人独特の気質なのかもしれない。

 わたしの元妻市子は霊能を究めるために、霊場高野山の麓にある

怪しげな、否、風変わりな配(あしら)いをした家屋で人との交(まじ)

わりを避け専ら亡者と語らう女霊能師の許へ修行に行っていた。

わたしも彼女に連れられて一度訪れたが、エンジニアのわたしには

到底理解できない魑魅魍魎の世界であった。ただ、わたしはこの世

界を巧く生きるために力のある者に阿(おもね)ったり況(ま)してや

亡者にまで縋ろうとは思わなかった。何故なら、自分以外のものに

自分自身を委ねて自分を生きないなんて、たとえ不運に苛まれても

したくはなかった。つまり、世間でいう幸不幸がわたしのそれとは

同じではなかった。わたしは自分を失って得る如何なる幸福も幸福

とは思えなかった。ただ、それが原因で彼女との絆を失ってしまっ

たが。ともあれ、彼女は近くに住む池本さん一家と子どもの共通の

悩みを通して交流を深めたのだろう。わたしの呼び掛けをあっさり

彼らが受け入れた背景には元妻の働きかけがあったからに違いなか

った。ただ、彼女が霊能力を究めて修行を終えたのか、それとも諦

めて終えたのかは定かではなかったが、もうそんなことはどうでも

よかった。彼女は彼女の思うように生きるべきだし、それを頭ごな

しに否定しようとは思わなかった。何故なら、迷っている者は自分

が迷っていることさえ隠そうとするから。

 わたしは、バロックの友だちの画家さんとサッチャンと一緒に下

の棚田を植え終えて、池本さん一家が居る田んぼの上の棚田へ

と移った。バロックは専ら苗束を手渡したり植え方を指示したりと

畦や納屋を駆け回った。元妻はみんなの賄いの準備に忙しかっ

た。こんな賑やかな田植えは初めてだった。

「文香、早ようせなおにいちゃんらに負けるで」

お父さんがあやちゃんに言った。

「せやかて、足が動かへんねんもん」

あやちゃんはCSのことなど忘れて田植えに没頭していた。その時、

一匹の蝶々が彼女の前を横切った。すると、あやちゃんは、

「きゃ―っ!!」

と、叫んで泥濘(ぬかるみ)に足を取られたまま後ろへ倒れこんだ。

わたしは何があったのかと腰を伸ばした。すると、お母さんが、

「この子、蝶々、嫌いなんです」

「えっ、蝶々が嫌い?」

「ええ、飛び方が怖い、言うて」

「へーっ」

あやちゃんは泥に埋まりながらベソをかいていたが決して泣かなか

った。その強さは病と闘って培った我慢強さに違いなかった。すぐ

に、お母さんに起こしてもらい畦に上がって用意してあった服に着

替えた。傍に居た画家さんが頭の上を越えて上の棚田へとフラフラ

飛んでいく蝶々を眺めながら、

「あの子が言うまでは気が付かなかったけど、そう言われてみれば

確かにおかしな飛び方ですよね」

そして、

「いやあ、小さい子の感性には時々ハッとさせられる」

と画家らしい感想を述べた。そして、忘れてしまった「生きること

の驚き」というようなものを気付かされた、とまで言った。ところ

が、棚田を昇っていった蝶々は、さっきまで溺れるようにして飛ん

でいたツバメに、今度は颯っと飛んできて一瞬で捕らえられた。

 陽は昇るほどに勢いを増し、遮る雲霞を山際へ追いやり幾つかの

塊りにまとめた。その陽射しはもう初夏を思わせた。元妻が棚田の

下から大きな声で「お昼にしましょう」と呼びかけた。すると、誰

もが宇宙から帰還した宇宙飛行士のような覚束ない足取りで畦を下

って辺(ほとり)の湧き水の溜まりで手を洗ってから、料理が並べら

れたゴザの周りに譲り合うこともなくへたり込んだ。

「こういうのって千枚田っていうんでしょ?」

バロックの友だちのサッチャンが氷を浮かべた麦茶を渇いた喉に流

し込んでから、むすびを手にしたわたしに聞いた。わたしは、

「まあ、そういうのかもしれけど、うちのはそんなに多くないから」

「そうでしょうけど」

すると、画家さんが割って入って、

「いったいどの位あるんですか?」

「さあ、何枚くらいあるのか、毎年増えていくのでよう判らんので

すよ」

「へえ、増えていってるんですか」

無農薬米を求める消費者は年々増加して、我が「虫食い農園」でさ

えも水田が足らなくなった。そこで、バロックが山を拓いて更に上

へ上へと棚田を重ねていた。

「ええ、だから、わたしたちはこの棚田のことをナンマイダーって

呼んでます」

すると、みんなが一斉に笑った。


                         (つづく)


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