(三十一)

2012-07-11 05:17:08 | ゆーさんの「パソ街!」(三十一)―(三十
                (三十一)


 日焼けした素肌が夜風の涼しさにとまどい、ミンミンゼミの鳴き

声が未だ交尾を果たせぬ焦りからか以前よりも忙(せわ)しなくなっ

て、長雨を境にピタッと鳴き止み、そして夏は終わった。夏を生き

た虫たちは季節の終わりとともにその一生を終えた。死ぬことを知

っているのは人間だけだなんてぜったい嘘だ。この世に生まれてき

たものがこの世を去るさだめを知らないはずがない。それらは生き

ることが歓びであり全てである。運命を全うした歓びは死ぬことさ

えも歓びに変わる。そして、受け継がれた命は厳しい季節を耐え

忍んで新しい世界に驚き歓喜する。生きる歓びとは自ら動くことが

できる歓びである。世界は動くものためにあり動くものの夢はこの

大地で生きることである。大地に生まれ大地に還る、他にいったい

何があるというのか。生きる歓びを犠牲にしてまで見る夢などある

はずがないではないか。たとえ如何なる不幸に見舞われても自分

さえ見失わなければ生きることの歓びは決して失われない。不幸

とは自分以外のものに自分自身を委ねることから生まれるのだ。

われわれは賢しさを身に着けたが故に、今この時を生きる歓びを

見失ってしまったのではないだろうか。春風にふるえていた早苗も

今では黄金の稲穂をたわわに実らせて秋風を楽しむように揺らい

でいる。人の手で植えられた稲は人の手によって刈り取られよう

としていた。

秋晴れの日を選んで新しく来た人たちと共に稲刈りが始まった。

 恵木さんを悩ませた学校の問題は意外と簡単に解決した。CSの

集まりに頼んで退職を余儀なくされた発症者の教員にお願いすると、

そんな教室なら是非とも役に立ちたいと言ってくれた。三十代初め

のCSに苦しむ未婚の女性だった。さっそく元村長に伝えて手続き

をとって貰った。曲がりなりにも学校があるとなると、さっそく問

い合わせがあって、それまで躊躇っていた二組の家族が移住を視野

に入れた体験生活に訪れた。こうして、わたしの描いた餅の絵は、

実際の餅の方からわたしの拙い絵に歩み寄ってくれた。

 体験生活にやってきた家族は、地元の都市近郊に住む佐藤さん一

家で、高校生の長女がCSを発症していたが小学生の長男はアトピ

ーの症状はあったがCSにはなっていなかった。お父さんは転居し

て来ても仕事を変えずに何とか通勤できないものかと考えていた。

そして、もうひと組は東京近郊からやってきた吉田さん一家で、お

母さんが発症して小学校へ上がったばかりの一人娘との母子家庭だ

った。いずれも二週間ほどの滞在で、新学期が始まるまでに結論を

出す予定でいた。そして、それぞれの家族は来て早々稲刈りを手伝

ってくれた。

「あのーっ、頑張らないで始めましょう!疲れたら休んで、決して

無理をしないで下さい。それよりも楽しくやりましょう!もし残っ

ても後でこの彼が、あっ!彼はバロックと呼んでますが、彼が片付

けますから」

わたしは田植えの時と同じように「頑張らないで始めよう」と言っ

た。それは、人間は他人に言われてしたくもないことを頑張るとそ

のシワ寄せは必ず思わぬところで歪(ひずみ)をもたらし、それがツ

マラナイ反発や不信を生み、ついには感情的な対立に到り、共同し

て行う作業が気まずくなり、そんなことを繰り返しているとやがて

身内同志で足の引っ張り合いまで始り、最後には、それぞれが自分

の立場を守ることだけを注意するようになって、自発的な意見や提

案を躊躇うようになり、表面上は組織的に見えてもみんなバラバラ

になる。実は、わたしはそういう組織を何回も見てきたのだ。すると、

横で聞いていたバロックが、

「なに言ぅーてんの、ゆーさん!今年はあんたの番やで!」

と、稲刈りの担当を交替ですると決めた内輪の話を持ち出して、さ

っそくわたしに反発してきた。もちろん、彼はわたしをからかうた

めに言っているのだ。

「サッチャンがまた来てもいいかって」

稲刈りの最中にガカが言った。サッチャンはこの夏の仕事を概ね済

ませて年内は年末まで空いているらしい。

「自分が植えたお米を自分で刈りたいって」

断る理由など無かった。こうして、次の日にはシコタマ稼いできた

サッチャンと、さらに、新しくできる学校の女教師も隣県からやって

来て、さらには、元村長までも駆け付けて、われわれの「ナンマイダ

ー」は急に賑やかになった。ただ、元妻とミコは夜が明けぬ前から

起き出してその賄いに追われた。それを訊き付けたこの地で暮らす

お婆あたちが夜明けとともに食材を持ち寄って手伝いに来てくれた。

すると無精に飽いた連れの爺たちまで顔を出して、稲木(いなぎ)を組

んで稲架(はさ)の準備をしてくれた。お昼になるとみんなでむすびを

頬張りながらお婆あたちが拵(こさ)えた煮物や和え物に舌鼓を打ち、

それぞれの土地に伝わる稲架の違いから様々な風習の違いについて

話しが及び、話の花が咲いて枯れることがなかった。じっとして居れな

い子どもたちは刈り取った後の田んぼで、駆け回るユキちゃんを追い

かけて燥(はしゃ)いでいた。そして、わたしとバロックの二人だけだと一

週間以上もかかっていた「ナンマイダー」の稲刈りは、三日目に

はほぼ刈り取られ稲架掛けを終えると、我ら「稲刈り隊」は今度は

お婆あたちの田んぼの稲刈りもしようということになった。こうして、

これまで獣の鳴き声しかしなかった静まり返った山間の限界集落は、

時ならぬ人間たちの甲高い笑い声が乾いた山々に響き渡って、木霊

(こだま)はまるでそれを楽しんでいるかのようにいつまでも響き返

していた。

 稲刈りを終えると、豊作を感謝して打ち上げパーティーをやった。

「ナンマイダー」の田んぼに板を並べその上に御座を敷き、秋の食

彩が目を楽しませる料理を並べてそれを囲んで車座になった。稲刈

りの間に親しくなった者同士だったので殊更他人行儀な紹介などい

らなかった。ただ、二日目にちょこっと顔を出してすぐに居なくなり、

その後まったく現れなかった元村長にも一応声を掛けると、すぐに

お神酒を提げて駆けつけ、

「いやあー、さすがに人が居ると早いね。わしゃ邪魔したらいかん

思てな」

などと言い訳がましいことを言った。そして、無精に飽いた爺さん

たちも自家製の濁酒(どぶろく)を惜しみながらも振舞ってくれた。

こうして始まった宴会はお決まりのようにサッチャンの出番へと流

れていった。サッチャンはいつも通りバロックとガカを従えて、棚田

を利用して一段上の田んぼをステージ代わりにして自慢の声を披

露した。新しく来た先生はまったくお酒はダメだったが、

「こんな楽しいことほんとに久しぶりです」

と、化学物質の被曝を怖れながら日々を送ってきた憂さを晴らすよ

うにサッチャンの歌に大きな手拍子を送った。彼女の透き通るよう

な白い肌は如何にも抵抗力の弱い印象を与えたが、それを補うほど

の強い正義感を秘めたまなざしをしていた。そして、早速子供たち

のところへ行って打ち解け始めた。

「ほんとにみんなやさしいいい子ですね」

「辛い思いをしているからね、みんな」

「ええ」

「でも、先生の方はお躰大丈夫なんですか?」

「はい。教壇に立てるんでしたら頑張れますわ」

「ほら、頑張っちゃあダメですよ」

「あっ、そうでしたわね。でも、ここならきっと大丈夫です」

「辛かったんでしょうね、学校を辞めるの?」

「仕方ないですわ。でも、それでこの子たちと巡り合えたわけです

から、今では感謝してますわ」

「あなたはほんとにやさしい人ですね」

わたしは彼女と話をするのが楽しかった。恐らくそれは、彼女のこ

とばには大阪弁にはない品の良さが感じられたからだった。実際、

ミコや元妻が話す言葉といったら優しさの欠片(かけら)もなかった。

だから、彼女が話しことばの最後を「わ」で終わらせる話し方が、

殊更わたしの無防備だった感覚神経を刺激して堪らなかった。そ

こで彼女が「わ」を使い易いようにわざと誘導して話し掛けてみた

が、そうすると今度は、彼女の話など聞かないで語尾に「わ」を付

けるのか付けないのかばかりが気になって仕方がなかったわ。

 

                                   (つづく)

 


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