「二元論」
(3)のつづきの続きの追稿
ところで、私もこれまで幾度か使いましたが、ハイデガーは人
間という言葉を避けて「現存在(Dasein)」と言い換えます。それ
は、おそらく生きている人間はいまは「現に存在している」が、
いずれ死んで存在しなくなるからだと思います。そもそもハイデ
ガーは、現象学的存在論として「存在と時間」を書き始めました
が、上に述べたように、まず、その準備として「問いかけられて
いる」現存在とは「何であるか?」を確認するために「現存在の
準備的な基礎分析」及び「現存在と時間性」を発表したあと、そ
れだけで優に1000ページはあるが、続刊が予定されていた本
論である存在論は出版されずに終わった。そのため「存在と時間」
は当時隆興してきた実存論と誤解されたが、彼は存在論だと主張
している。
では、「存在とは何であるか?」を思惟する現存在とは何であ
るかといえば、現存在を規定する絶対的な現象は「死」であり、
「死」は現存在の存在の限界を意味します。自らが限られた存在
でしかないことを認識した現存在は現前の日常に流されるだけの
「頽落」した生活を改めて存在することの本来性、つまり「先駆
的覚悟性」(ハイデガー) に目覚め、それは「死」がもたらす限ら
れた《時間性》(テンポラリテ―ト)によって現存在を本来性へと
覚醒させる。つまり、「テンポラリテ―ト」とはあくまでも現存
在だけに関わる概念にほかならない。
(4)にしろよ、と思いつつ、(つづく)