「二元論」(3)のつづきの続きの追稿

2021-02-24 06:01:46 | 「二元論」

         「二元論」

 

          (3)のつづきの続きの追稿

 

 ところで、私もこれまで幾度か使いましたが、ハイデガーは人

間という言葉を避けて「現存在(Dasein)」と言い換えます。それ

は、おそらく生きている人間はいまは「存在している」が、

いずれ死んで存在しなくなるからだと思います。そもそもハイデ

ガーは、現象学的存在論として「存在と時間」を書き始めました

が、上に述べたように、まず、その準備として「問いかけられて

いる」現存在とは「何であるか?」を確認するために「現存在の

準備的な基礎分析」及び「現存在と時間性」を発表したあと、そ

れだけで優に1000ページはあるが、続刊が予定されていた本

論である存在論は出版されずに終わった。そのため「存在と時間」

は当時隆興してきた実存論と誤解されたが、彼は存在論だと主張

している。

 では、「存在とは何であるか?」を思惟する現存在とは何であ

るかといえば、現存在を規定する絶対的な現象は「死」であり、

「死」は現存在の存在の限界を意味します。自らが限られた存在

でしかないことを認識した現存在は現前の日常に流されるだけの

「頽落」した生活を改めて存在することの本来性、つまり「先駆

的覚悟性」(ハイデガー) に目覚め、それは「死」がもたらす限ら

れた《時間性》(テンポラリテ―ト)によって現存在を本来性へと

覚醒させる。つまり、「テンポラリテ―ト」とはあくまでも現存

在だけに関わる概念にほかならない。

         (4)にしろよ、と思いつつ、(つづく)