「ドイツ語のひびきについて」

2021-01-01 12:42:17 | 従って、本来の「ブログ」

         「ドイツ語のひびきについて」

 

 時間ができたので、ニーチェの『悦ばしき知識』を手に取った。

ほとんど文字を目で追うばかりでまったく頭には入って来なかった

が、104編「ドイツ語のひびきについて。」で目が止まった。

 彼がこの本を書き残したのが1882年頃で、その後1889年

に精神に異常をきたしてそのまま回復することなく1900年に死

んだ。もちろん彼はその後(1939年)ドイツがヒットラー率いる

ナチスによってヨーロッパ各国への軍事侵攻したことなどまったく

知る由もないが、すでにこの時には「ドイツ人が今日彼らの言葉の

ひびきにおいて軍隊調になりつつあるというのは、確かだ。」と、

まるでその後のドイツの行く末を「ドイツ語の言葉のひびき」から

危ぶんでいることに驚かされた。そして、「きまりきったひびきに

仕付けられた習慣は、性格に深く食い入るからだ。――やがて人々

は、このひびきにぴったり合った言葉や言い廻しや、ゆくゆくはま

たそうした思想さえも、身につけるだろう!」と、ヒットラーの登

場を予言しているかのようだ。そもそもドイツ語は我々日本人が聴

いても無骨で流暢さに欠ける独特のアクセントだが、ニーチェは、

「またドイツ人が一種の奇妙きてれつな『ひびきの魔力』に憑かれ

はじめたのが見られる。この『ひびきの魔力』ときたら、長い間に

はいつかドイツ語にとってのっぴきならぬ危険となるかもしれない

ものだ」と言い、そして「没趣味で横柄な言葉のひびき」が思想を

過激化させるというのだ。つまり「ドイツ語のひびき」こそが演説

を得意とする独裁者ヒットラーを生んだ。長文ですが以下に載せま

す。

        *        *       *

 「ドイツ語のひびきについて。――二、三世紀このかた一般の文

章語となっているドイツ語が、どこに由来するかは、誰にも知られ

た事実である。宮廷に起源をもつことがらに畏敬の念をいだくドイ

ツ人らは、自分たちが書くものの一切合切において、なかでもとく

に自分らの手紙、記録類、遺言状などなどといったものにおいて、

ことさらにお役所をお手本に仰いだ。お役所風に書くとは、宮廷風

に政府式に書くことであった――そうするのが自分らの日常そこに

生活している都会のドイツ語に比して何か高尚なことと看做された

。次第にこの傾向を推しすすめた結果ひとびとは、その書くとおり

に話すようにもなった、――こうしてひとびとは、語形の点でも、

語句や語法の選択の点でも、さらにはついに語調の点でさえも、一

そうと高尚になっていった。ひとびとは話すときに宮廷調を気取っ

た、そしてこの気取りがついに本性となってしまった。これと瓜二

つのことがらは、おそらくどこにもおこった例しはないだろう。つ

まり、話言葉に上廻る文体語の流行とか、全国民の乙な取り澄まし

やお上品振りとかが、もはや方言的ならぬ一般的な言語の基礎とな

ったということは、その例がないだろう。思うに、ドイツ語のひび

きは、中世では、とくに中世以後においては、ひどく田舎臭く野卑

なものだった。それが最近の数世紀において幾分かは高尚になった

が、それとても主として、ひとびとが随分と多くフランス語やイタ

リヤ語やスペイン語の調子に倣うよう強いられたこと、しかもそれ

が外でもなく母国語に皆目満足できなかったドイツ(またオースト

リア)貴族の側から強いられたこと、によるものだった。だが、こ

うした習練にもかかわらずドイツ語というものは、モンテーニュに

とってあるいはラシーヌにとってすら、我慢ならぬほど野卑にきこ

えるものだったにちがいない。そして今日ですらそれは、旅行者の

口にのぼるとき、イタリアののただなかにあってさえ、あいも

かわらずひどく粗野に、むさくるしく、しわがれて、まるで煙で煤

けた部屋か礼儀もわきまえぬ地方からでた言葉のように、ひびくの

である。――ところで私には、今日またもや以前のお役所礼讃者だ

った連中のあいだに語調の高尚をあこがれる似たような熱望の広が

るのが、認められるし、またドイツ人が一種の奇妙きてれつな「ひ

びきの魔力」に憑かれはじめたのが見られる。この「ひびきの魔力

」ときたら、長い間にはいつかドイツ語にとってのっぴきならぬ危

険となるかもしれないものだ、――というのも、これ以上に忌わし

いひびきは、ヨーロッパ中を探したとて無駄骨というしろものだか

らだ。声調における何か嘲笑めいたもの、冷やかなもの、どうなり

かまわんといったもの、なげやりなもの、そうしたものが今日では

ドイツ人に「高尚な」というふうにひびく――そして私の耳には、

若い官吏や教師や婦人や商人の声音にやどるこうした高尚への愛好

の音色が、きこえる。それどころか可愛らしい少女すらもがもうこ

の将校ドイツ語を見倣っている次第だ。それというのも、将校が、

それもプロイセンの将校が、こういうひびきの発明者だからだ。ド

イツ人のことごとく(ドイツの大学教授や音楽家をも含めて!)が学

ばねばならないあの讃嘆すべき謙譲の物腰を、軍人としてまた専門

家として所持しているその同じ将校が、その発明者だからだ。それ

なのに、この将校が話をしたり振舞ったりするやいなや、彼こそは

古風のヨーロッパでも最も図々しい最も没趣味の姿――彼自身が気

付いてないことには疑いの余地もないが――をあらわす人種なのだ

!なおまた、彼を第一流かつ最高貴な社会の人物として敬迎し、喜

んで「彼に音頭を取らせる」善良なドイツ人たちも、そのことに気

付いてはいない。音頭取っているのは何といったって実際彼なのだ

。――そしてまずはじめ、彼の音頭をまねて、これを粗雑なものに

するのは、曹長や伍長たちだ。町という町の郊外で練兵がおこなわ

れている今日、ドイツの諸都市をすっかり咆哮の渦に巻きこんでし

まう号令の叫びに、注意して見給え。何という横柄さが、何という

狂暴な権柄意識が、何という嘲笑的な冷酷さがこの咆哮からひびい

てくることか!ドイツ人が音楽的国民だなんて本当にできることだ

ろうか?――ドイツ人が今日彼らの言葉のひびきにおいて軍隊調に

なりつつあるというのは、確かだ。彼らが軍隊調で話すように仕込

まれた末に、ついには軍隊式に書くようにもなるといったことだっ

て、おそらくないとはいえまい。というのも、きまりきったひびき

に仕付けられた習慣は、性格に深く食い入るからだ。――やがて人

々は、このひびきにぴったり合った言葉や言い廻しや、ゆくゆくは

またそうした思想さえも、身につけるだろう!多分いまだってもう

われわれは、将校式の書き方をしているのだ。もしかしたら、現在

ドイツで書かれるもののごく僅かばかりしか、私は読んでいないの

かもしれない。だがそれだけに一そう明確に次のことがらを私は知

っている、――つまりそれは、外国にも報道されるドイツの公の声

明が、ドイツ音楽によってではなくて、あの新しい没趣味な横柄な

ひびきによって霊感を吹き込まれている、ということだ。一流どこ

ろのドイツ政治家のほとんどすべての演説に、その政治家が自分の

帝国のメガホンを通じて意見を述べるときですら、外国人の耳が嫌

悪感をもって払いのけるようなアクセントがききとられる。それな

のにドイツ人はそれを我慢する。――彼は自分自身を我慢するわけ

だ。」(ニーチェ著『悦ばしき知識104』信太正三 訳)