「継続か、撤退か」付記

2013-10-03 21:49:30 | 従って、本来の「ブログ」



     「継続か、撤退か」 追記


 原発利権に群がる政治家や経済人、最近では産学共同によって生

まれた「不適切な関係」だけが唯一の成果だった学者たちや、ニュ

ースを選んで報道するマスコミまでもが、「フクシマ」以後の原発

の再稼働が国家存亡の危機を招く危険さえあることを一切語らず、

もう一度イエローカードが出されれば累積二枚で世界のピッチから

退場させられるに違いないが、未だに事故を矮小化することに懸命

で、すでに破綻した「安全神話」に依拠した楽観論に固執する背景

には、国家の存亡よりも自分たちの既得権益を守るために事実を歪

めているとしか思えない。たぶん、東電に融資する銀行団にすれば

再稼働して利益を生む以外に回収する方法がないのだ。それは、原

発に反対する人々が考える以上に追い詰められていて、原発事故が

生んだ損金を原発の再稼働によって埋めようとしている。つまり、失

敗を、失敗したやり方で取り返そうとしている。当初より対応を東電

だけに任せて政府が介入しないのも、銀行が保有する東電株が紙

切れになってしまう事態を避けるためで、その結果、楽観的な対応

が深刻な事実の後追いになってしまっている。当初から東電だけで

は事態が収拾できないことは明らかだったが、とは言っても、政府が

介入して東電を潰すわけにはいかなかった。つまり、東電を潰して

国家が管理して再稼働を止めるということはあり得ないことなのだ。

 しかし、この国では主権は国民にあり政治の結果は国民一人ひと

りが負わなければならないのだから、政治家や財界人であっても国

民の合意がなければ再稼働を決めることはできないはずだ。果たし

てわれわれは、祖国を失う危険を冒してまでも経済を優先させるべ

きだと考えているのだろうか?おそらく、原発の再稼働は銀行団が

融資を継続する条件であり、再稼働が叶わなければ金融不安さえ懸

念されるのかもしれない。しかし、今後何万年にも亘って放射能汚

染を気にしながら生きなければならない環境を自分たちの子孫に引

き継がなければならない過ちを繰り返すわけには行かない。この世

界は今生きてるものたちだけの世界ではないのだ。豊かであっても

放射能で汚れた環境より、たとえ貧しくとも安心して生きていける

環境を残すことが今を引き継いだわれわれの最低限の使命ではない

だろうか?われわれは、この美しい祖国を一時の経済危機のために

「汚れた国」の忌まわしい汚名を着せられて世界から見向きもされ

ない国にだけはしてならないのではないか。今まさに、主権者たる

国民の強い意志が求められている。


                                   (おわり)