「存在とは何だ?」改稿

2013-10-01 23:18:26 | 「存在とは何だ?」
 
 以下の記事は、以前に投稿したものを改めたものですが、

もし、私が一番気に入っているものを挙げろと言われたら、

これです。                    ケケロ脱走兵




             「存在とは何だ?」改稿


 木田元(著)「ハイデガーの思想」を読んだ。実は、ハイデガーの 

「存在と時間」を読んだことがないので語ることはできないのだが、 

ぼんやりとではあるがハイデガーが何を考えていたのかが窺えた。

私は若い頃、東京の下町の図書館に時間を潰すために入った時、

そこでたまたまサルトルの「実存は本質に先行する」という言葉を目

にして、それまで本質を追い求めていた自分の思考を停止させられ

たことを思い出さずには居られない。それは自分にとって大きな転

換だった。その頃、ハイデガー「について」書かれた本も手に取った

が、確かその中でハイデガーは、サルトルのその言葉を聞いて「先

行すると言ったのか」と何度も尋ねた、とあったが、その意味がよ

く解った。つまり、ハイデガーによれば、西洋形而上学はプラトン、

アリストテレスによって存在を本質存在イデアと事実存在(自然)

の二義的に区別され、その優位性は時代によって何度も転換を繰り

返してきたと言うのだ。「そこで彼ハイデガーはサルトルのこの

主張を嗤って、『形而上学的命題を転倒しても、それは一個の形而

上学的命題にすぎない』」(同書より)。つまり、「『本質』は存在

に先行する」と言っても『命題の本質』は何も変わらない。卵と鶏

のジレンマと同じことなのだ。ただ、我々が「存在に関して『それ

は何であるか』と問うとき、存在はすでに『本質存在』に限局され」

(同書より)、そもそも「本質存在と事実存在との区分の遂行とその

準備とともに形而上学としての存在の歴史が始ま」ったのだ。だか

ら、上のサルトルの言葉は、時代が変われば簡単に「本質は実存に

先行する」ことになると言うのだ。ハイデガーの言葉は「存在とは

何か」を問う西洋形而上学の否定に他ならない。「ハイデガーは、

『それは何であるか』という問い方そのものが『哲学』の問い方で

あり、このように問うときすでに、存在に対するある態度決定がお

こなわれてしまっている、と言いたいのである」(木田元「ハイデ

ガーの思想」より岩波新書268)

 以下は、著者(木田元) と ハイデガーの言葉が交錯しますので、

便宜上、「 」は著者の、『 』 はハイデガーの、囲いのない言葉

は私のものとします。

 ハイデガーは、西洋形而上学はプラトン、アリストテレスによっ

てもたらされたと言います。それは、アリストテレスによって、存

在者を「何であるか」(本質)と「それがある」(事実)に区別し概念

化されて、「『この区別の遂行こそが形而上学を成立させたのだ』と

ハイデガーは見るのである。」

 つまり、『存在が区別されて本質存在と事実存在になる。この区

別の遂行とその準備とともに、形而上学としての存在の歴史が始ま

るのである』(ハイデガー著『ニーチェ』)

 それでは、それ以前のギリシャ人たちはどうだったのか?木田元

によると、「ハイデガーの考えでは、アナクシマンドロスやヘラク

レイトスやパルメニデスに代表される〈ソクラテス以前の思想家た

ち〉は、<叡知>を愛する「アネール・フィロソフォス(叡知を愛する

人)」ではあったが「哲学者」ではなかったし、彼らの思索も「叡知

を愛すること」ではあっても「哲学」ではなかった。彼らは哲学者

よりも「もっと偉大な思索者」だったのであり、「思索の別の次元」

に生きていたのである。」そして、存在者に対する想いとは、「『

存在者が存在のうちに集められているということ、存在の輝きのう

ちに存在者が現れ出ているということ、まさしくこのことがギリシ

ャ人を驚かせた』のであり、この驚きがギリシャ人を思索に駆り立

てたのだが、当初その思索は、おのれのうちで生起しているその出

来事をひたすら畏敬し、それに調和し随順するということでしかな

かった、と言うのである。」つまり、〈ある〉ことに驚き〈何のた

めにあるか>とは考えなかった。「ハイデガーは、このようにして

開始された思索を『偉大な始まりの開始』と呼ぶ。」 それでは彼

ら(古代ギリシャ人)は存在者をどのように解していたのだろうか。

「万物を<ピュシス>(自然)とみていた早期のギリシャ人は、存在者

の全体を〈おのずから発現し生成してきたもの〉と見ていたにちが

いない。」「ハイデガーは、この<ピシュス>についてこんなふうに

述べている。『ピシュスとはギリシャ人にとって存在者そのものと

存在者の全体を名指す本質的な名称である。ギリシャ人にとって存

在者とは、おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そしてお

のれへと還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れきたっ

ておのれへと還帰してゆきながら場を占めているものなのである』」

 ところが、プラトン・アリストテレスによって存在は本質存在と

事実存在に分岐され、「〈始原の単純な存在〉つまり〈自然〉とし

ての存在が押しやられ、忘却されてしまう。このく存在忘却>とと

もに〈形而上学〉が始まるのである。」 そして、『イデアとしての

存在こそがいまや真に存在するものへと格上げされ、以前支配的で

あった存在者そのもの(つまり自然)は、プラトンが非存在者と呼ぶ

ものに零落してしまったのである。』 つまり、『イデアの優位がエ

イドス(形相)と協力して、本質存在(何であるか)を基準的存在につ

かせる。存在はなによりもまず本質存在ということになるのである』 

 「以後、形而上学の進行のなかで、この<本質存在>を規定する形

而上学的(超自然的)原理の呼び名は、プラトンの<イデア>から中世

キリスト教神学では<神>へ、さらには近代哲学においては<理性>へ

と変わってゆくが、それによって規定される〈本質存在〉の

在>に対する優位はゆるがない。」

 つまり、「〈哲学〉にとっては〈それは何であるか〉という問い

が本領であるが、そう問うことによってすでに〈存在〉を〈本質存

在〉に限局してしまっている、ということにほかならない。」それ

では、ハイデガーはその哲学についてどう思っていたのだろうか。

もちろん、時代と共に彼の思想も変遷するが、「西洋=ヨーロッパ

の命運を規定した〈哲学〉と呼ばれる知は、自然を超えた超自然的

原理を設定して自然からの離脱をはかり、自然を制作ポイエーシス

のための単なる材料ヒュレーにおとしめる反自然な知なのだ」。

そして、「近代ヨーロッパにおける物質的・機械論的自然観と人間

中心主義的文化形成の根源は、遠くギリシャ古典時代に端を発する

<存在=現前性=被制作性>という存在概念にあると見るべきだ」。

そこでハイデガーは、「人間を本来性に立ちかえらせ、本来的時間

性にもとづく新たな存在概念、おそらくは〈存在=生成〉という存

在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような

自然観を復権することによって、明らかにゆきづまりにきている近

代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていたの

である」。ところが、彼の企ては挫折してしまった。それは、「人

間中心主義的文化の転換を人間が主導権をとっておこなうというの

は、明らかに自家撞着であろう。」「では、この形而上学の時代、

存在忘却の時代に、われわれは何がなしうるのか。失われた存在を

追想しつつ待つことだけだ、と後期のハイデガーは考えていたよう

である。」(木田元・著「ハイデガーの思想」より)

 ほとんどが引用になってしまったが、ハイデガーは本質存在「何

だ?」ばかりを追い求め事実存在「ある」を見失ってしまった人間

に始原の〈自然「ピシュス」〉を復権させようとしたが、その自家

撞着によって挫折した。そして、我々にできることはただ「待つこ

とだけだ」と考えていた。ところが、今や我々は人間中心主義的文

化の限界に接して、合理主義経済がもたらす環境破壊によって自然

環境が激変し、自然(事実存在)の逆襲に曝されている。たとえば、

人間が主導権をとって人間中心主義的文化の転換を図ることは自家

撞着かもしれないが、それでは自然(事実存在)の変動によってその

転換を余儀なくされているとしたらどうだろうか?いまや本質存在

の優位が事実存在〈自然〉の反抗によって脅かされ、「自然内存在」

としての現存在が文字通り〈存在=生成〉への転換を迫られている

としたらどうだろうか?自然の猛威とは本質存在に拘束されていた

事実存在がその束縛を断って反抗しているのだ。忘れ却られていた

自然の摂理がまさにその事実存在によって我々の存在了解(想定)を

脅かし、ハイデガーが言うように、我々の「叡知」がいつか甦える

時が来るとすれば、それは将に今こそがその時ではないだろうか。

つまり、ハイデガーの残した思想がようやく輝きを放って、歩むべ

き道を見失った近代人を導いてくれるその時が来たのではないだろ

うか。最後に、本の中で見つけたヴィトゲンシュタインの次の言葉

を引用します。

「神秘的なのは、世界がいかに〈あるか〉ではなく、世界がある

〈ということ〉である」

                                      (おわり)