「直接民主主義」

2012-06-21 17:07:23 | 「パラダイムシフト」




         「直接民主主義」


 この国で、将来の理想を語ることがどれほど空しい徒労に終わる

ことになるかを知らないわけではないが、それでも既得権益に群が

る腐った蛆虫どもと同等に見られたくないので、空しさを予感した

上で理想を語ろうと思う。

 すでにインターネット技術の発達によって、有権者による直接民

主主義が可能ではないだろうか。技術的なことは詳しくないがそれ

ほど難しいことだとは思えない。ただ、総背番号制は欠かせないだ

ろうが、投票に用いる端末器を行き渡らせることや、その集計には

それほど問題があるとは思えない。もしもそうなれば、まず、莫大

な歳費を貪るだけの国と地方に巣食う代議士が一掃できる。後はそ

の処理に当たる事務局さえ残せばいいだけだ。もっともその事務方

が歪めてしまう危険性がないわけではないが、それさえも直接投票

によって糾すことができるはずだ。立法を求める法案は全ての有権

者が提案でき、何段階かの審査投票を経て議案として取り上げ最終

的に住民投票か国民投票でクリック一つで採決する。矛盾する法律

の調整だけが官僚たちの役割だ。もう彼等が無能な政治家を使って

思い通りに引水させてはならない。専門的な知識が求められたり是

非に対する様々な意見は専門家による解説や議論をインターネット

上やマス・メディアを通じて行えばいい。無用になった国会は、この国

の腐敗した政治の歴史を伝える博物館にでもすればいい。

 もう政治家を無くそう、と言うのは、本来主権が国民や住民にあ

るのなら、大統領も首相も知事も市長もまして何の役にも立たない

議員など無用のはずではないか。彼等が国民の負託を忘れ官僚に

洗脳されて体制に従うのであれば、いったい何をする為の代議士な

のか。民主主義に於いてリーダーとは有権者の上に権力を与えられ

て立つ人ではなく、有権者の決定を執行する監督人に過ぎない。こ

れほどまでにも国民の意志が政治家によって歪められてしまうなら、

そして政治家の歳費こそが大きな債務を生むのであれば、たとえ衆

愚政治に陥ったとしても、どちらにしてもその責任を負わされるのは

主権者たる国民であるのだから、責任を負うべき主権者の直接の判

断によって決定される方がマシではないか。ポピュリズムを警戒する

人は、それでは今の政治家たちは信念を曲げずにポピュリズムに対

して毅然として立ち向かっているだろうか。いったい誰が主権者の声

を代弁してくれるポピュリストだというのか。何れも既得権にしがみつく

団体の御用政治家ばかりじゃないか。この頃のSNSの浸透や携帯端

末の充実を見れば、その流れは今の政治を変えて、直接民主主義へ

向かわせているように思えてならない。そう考えているだけでも空しさを

忘れて何だか気分がスッキリしてきた。



                         

「親心」

2012-06-21 01:56:35 | インポート



                「親心」


 何でそんなことを知っているんだろう?

 これぞ「叡知」だ!

 それにしてもおかあさん、暑かろうに。

 亡くなった母を思い出して泣けてきた。

 

朝日新聞デジタル 2012年6月20日22時3分

翼を広げてヒナに日陰をつくるコウノトリの親鳥=6月7日、兵庫県豊岡市野上、小崎晃さん撮影

翼の日傘でヒナ「涼しい~」 豊岡のコウノトリ


 国の特別天然記念物・コウノトリの親鳥が兵庫県豊岡市の人工巣

塔で、翼を広げてヒナに日陰をつくる姿を、全日写連会員の小崎晃

さんが撮影した。

 撮影は今月7日。ヒナが卵からかえったのは5月下旬。コウノト

リの野生化に取り組む兵庫県立コウノトリの郷公園は「ヒナが小さ

な時期にたまに見られる行動」と説明している。(新井正之)

 


「無題」 (四)―①

2012-06-21 00:09:50 | 小説「無題」 (一) ― (五)



                   「無題」


                   (四)―①


 得体の知れない不安とは未知の恐怖であり、その恐怖がたとえ絵画

であれ自分の認識と曲がりなりにも相関させることができて未知の恐

怖から多少なりとも解放された安堵感からか、まもなく電車が自宅近

くの駅に到着するにも拘らず、眠りを誘う快適な揺れに気を緩ませて

つい眠り込んでしまった。

 恐怖は初めて体験する時が一番怖ろしくって、二度三度と同じ体験

をするに従ってその絶対性が失われて慣れてしまう。我々が死ぬこと

を最も怖れるのはその体験が一度限の絶対的なことだからだ。例えば、

もう一度だけ蘇えってやり直せるとなれば、死は我々を怖れさせず、

と言うのは二度目の絶対死さえ一度死を体験しているので未知ではな

い、だから、この一回性こそが恐怖をもたらすのだ。また、神がもう

一人存在してもその絶対性は失われてしまうだろう。恐らくキリスト

教が凋落したのはイエスを神の子として認めたからではないか。イエ

スへの信仰が神の絶対性を損なわせたのだ。絶対とは唯一無二で相対

化できない。神の使いとしてイエスが現れイエスに対する愛が神その

ものに対する信仰を失わせた。我々はキリスト教をイスラム教のよう

な一神教として捉えているが少し違うと思う。キリスト教は神と神を

補完する神の子イエスの、相応しい言葉が思い付かないが、謂わば「

二神教」なのだ。その神の子イエスは神による救済を説いた。しかし、

信仰とは決して説明によって理解されるものではない。神の存在がい

かに不条理であっても「カミュ」でなく「神」を信じるしかない。イ

スラム教のように考えるなただ信じろこそが信仰だ。ただ、イエスの

言葉が残されなければ懐疑主義は生まれず、従って論理的思考は育た

ず科学は今のように発展しなかったかもしれない。パスカルやデカル

トは謂わばイエスの申し子なのだ。つまり、イエスは人々に神による

救済を説いたが、その語った言葉こそが後の人々を論理的思考に導き

物質文明を発展させ実存主義を生んだ。しかし、神による救済とは相

対世界で生きるものの絶対への不安、死への恐怖からの救済であった。

我々がいくら神の存在を否定しても依然として死の不安から逃れるこ

とができたわけではない。話しが逸れてしまったが、未知への恐怖と

はその絶対性に対する恐怖なのだ。

 目が覚めると下車すべき駅はとっくに通り過ぎてしまっていた。車

内を見回すと見覚えのある乗客は誰も居なくなり、電車を降りた後に

タイムカードを押すような通勤人の姿は自分以外見当たらないほど社

会的義務から開放された寛いだ乗客に囲まれていた。斜め向かいの席

の人々は缶ビールを飲んでいた。車窓からは人家が途切れた先に水平

線が見えた。電車はどこら辺りを走っているのか分らなかったが、つ

いさっきまで私が居た世界、夢の中で織りなされた出来事を記憶に留

めようとして再び重い目蓋を閉じた。

                                    (つづく)
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