「結果が原因を創りだす」―3

2011-02-06 16:06:39 | 「パラダイムシフト」
         「結果が原因を創りだす」―3



 たとえば、明治維新は坂本竜馬や高杉晋作など倒幕を推し進めた

人物が現れなくても、押し寄せる近代化への奔流は徳川幕府を終焉

へと追い遣っただろうか。開国を迫る欧米列強に対して近代国家と

して生まれ変わることは誰もが望む結果であった。だから倒幕の志

士が暗躍しなくても何れ徳川幕府は崩壊したのかもしれない。しか

し、その後の日本が侵略も受けず植民地化されることもなく近代国

家として樹立できたかというと甚だ疑問ではないでしょうか。ひと

つの結果は次の結果を創りだす為の原因に転じる。仮に、時代の流

れのまま武家社会が終わるという結果であったとすれば、果たして

新しい時代を創りだす機運がうまれただろうか?それはちょうど

「ベンジャミン革命」後のチュニジアがどうやって民主化を実現させ

るかを見ればいいのかもしれない。志士たちの志(こころざし)は「

新しい日本」という結果を創りだすための原因であった。そして彼

等が創りだそうとした国家が、ただ結果が創りだした国家とどれほ

ど異なったものであるか、それは近隣諸国が如何に欧米列強の縦

(ほしいまま)に振舞われたかを見ればわかるではないだろうか。


                                  (つづく)

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「結果が原因を創りだす」―2

2011-02-06 00:32:50 | 「パラダイムシフト」
  



        「結果が原因を創りだす」―2



 まず、取り上げる書物を読んでないことを断わった上で、更には

私の貧しい認識を承知の上で、つまり「由なし事」を記します。

 チュニジアで起った「ジャスミン革命」が一人の青年の焼身自殺

が原因で起ったとすれば、そんな些細な原因が、もちろん青年にと

っては命を賭した一大事ですが、国家を転覆させる結果をもたらす

ほどの起因たり得るだろうか。そこへ至るまでには誰もがこのまま

の政治では良くないと思っていたことでしょう。つまり、多くの国

民が「社会を変える」という結果を切望していた。青年の抗議自殺

は「政治を変える」という結果を待ち望んだ民衆が創りだしたキッ

カケに過ぎないのではないだろうか。

 それでは中世西欧社会を席巻した「宗教革命」は、マルティン・

ルターが現れてヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の論題」を

張り出さなくても信者は俗物化したローマカトリック教会に対する

不信から何れ信仰を見捨てただろうか。ただ、革命の原因といわれ

るルターと焼身自殺した青年の違いは、ルターは単に腐敗した教会

への抗議を行っただけでなく、司祭として、戸惑う信者に信仰が本

来よりどころとするべき預言者キリストの言葉「聖書」への回帰を

訴えたことにあるのではないだろうか。一方、焼身自殺した青年は、

もちろん不条理な政治に抗議したが民衆を導く社会のあるべき姿ま

では当然語らなかった。「社会を変える」という結果はそれぞれの

原因によって達成されたかもしれないが、「結果が原因を創りだし

た」ジャスミン革命と、本来あるべき信仰を訴えて「原因によって

結果を創りだそう」としたルターとは違うのだ。ただ結果が創りだ

した原因ではなく、自分自身が原因となって結果を創りだすこと

が人間の本来の姿ではなかっただろうか。たとえば、我々は余

りにも結果に頼りすぎて自らが「原因となって結果を創りだす」


ことから逃避していないだろうか。

                                

                                (つづく)



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