「結果が原因を創りだす」―4

2011-02-07 08:13:28 | 「パラダイムシフト」
         「結果が原因を創りだす」―4



「結果が原因を創りだす」と言われると、思わずそんな荒唐無稽な

と思うかもしれないが、我々は既に結果から原因を創りだしている

ことに気付かされる。「遅刻した原因は寝坊したから」という場合、

寝坊したという原因があったとしても遅刻するという結果になると

は限らない。遅刻するという結果が寝坊したという原因を創りだす

のだ。学生達は良い大学に入る為に一生懸命勉強する。しかし一生

懸命勉強したからといって良い大学に入れるとは限らない。つまり

「原因が結果を創りだす」とは限らない。そこで「結果から原因を

創りだ」そうとする。何故なら「結果は原因に先行する」からだ。

 量子力学が注目され始めた頃、思想界は実存主義が脚光を浴びて

いた。サルトルが語った「実存は本質に先行する」という言葉は

「結果が原因を創りだす」と何と類似しているのだろう。

(私は著書を読んでいないのでそんなことは当然書かれているのか

もしれませんが)

 柄谷行人氏の書評から引用すると「自然科学に生じたのと類似し

た事柄が、ほぼ同時期に、他の領域でも見いだされるという」のだ。

そして、「量子力学以前の物理学では、観察者を超えた、超越的な

視点あるいは超越的な何かが仮定されてきた。たとえば、相対性理

論も光速を一定と仮定することで成り立っている。ところが、量子

力学がもたらしたのは、そのような超越的視点がもはやないという

認識である。」

まさにこれは現象主義か、或は実存主義の思想ではないか!

(実は、あまり良くは知りません)

それは、量子力学を認識した観察者の視点で世界を見れば、超越的

(絶対的)な視点がもはやないというのだ。そして絶対的な視点がな

いということは、世界は観察者の視点に委ねられているということ

になる。つまり、「在る」とは観察者が認識するから[在る」ので

あって、観察者が居ない絶対世界というものは存在しないことにな

る。ただ、量子力学の視点でこの世界を見ることの是非はあると思

います。何故なら「超越的な視点はもはやないという認識である」

と言われているのですから、顕微鏡でこの世界を覗くことも適った

視点だとは言えないのではないでしょうか。

(わけが解からなくなってきたので、この辺で止めて「小説」に戻

ります)



                         (おわり)
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村