翌朝、土曜日です。いい天気です。
朝食はトーストやヨーグルトなど両親が毎朝食べているものをいつもどおり食べられました。
写真は3日目の朝食(東京から持ち込んだシリアル)
朝食後、父が車で出かけるというので同行することにしました。
街の様子も知りたい。
健軍電停から県道28号高森線を益城方面に走ります。
実家があるのは、熊本市東区の健軍電停(市電の終点)あたりです。一番被害の大きな益城町とは隣り合っているところで、実家の周辺も崩れた壁、屋根瓦など地震の爪痕があちこちの建物残されていますが、益城町に入ると更に厳しい状態でした。
もちろん各種報道で知ってはいましたが、実際目の当たりにすると更にズンと心にくるものがあります。道の両脇に倒壊家屋が続き、道路もデコボコ。マンホール部分、橋の両端はほとんどが陥没しています。でも、車道に関してはかなりの部分で応急処置が施され、渋滞もなくスムーズに走れます。
一番被害の甚大だったところは通行止めで信号機も消えたままでしたが、その他の場所は信号も点灯していました。一週間でこれだけ復旧しているとは。関係者の皆さんの不眠不休の働きがあったんだろうと思いました。それでも、歩道や私有地のデコボコはそのままで、崩れ落ちたブロック塀、石垣、家屋、看板などが延々続きます。
益城町役場の前はボランティアの若者が交通整理をしていたようでした。ほんとにご苦労様です。役場のあたりはやはり災害対策本部があり、支援活動の拠点でもあるので人々の出入りが多く、変な表現ですが活気がありました。支援物資を大きなビニール袋に詰めてオオクニヌシかサンタクロースのように肩に担いで運ぶ人たちの姿も。
避難所の駐車場脇に、犬小屋ごと連れてこられたワンちゃんが繋がれていました。家ごと避難できてよかったね。
建物の危険診断も始まったようで、木山地区あたりは「危険」「注意」「調査済」の紙が貼られた家屋もたくさんありました。調査員らしき人たちも何組も見かけました。
ご苦労様です。
益城町は田畑が広がる田園地帯ですが、田んぼにはレンゲの花がびっしり咲いていてとてもきれいです。
そんな田んぼのの広がる一角に、たくさんのはがしたアスファルトが置いてあるところがありました。道路工事も急ピッチで進めているのが伺えます。
水道が復旧していないので、田んぼの中で水が湧いているところに汲みに来ている人々もみかけました。
用を済ませ、帰宅して家の片付けをやったあと、今度は母と外出。
近所の商店街へ食料品の買出です。
八百屋さん
魚屋さん
他にも花屋さん、洋服屋さん、たい焼きやさん、弁当屋さんなど営業中。
野菜果物を中心に買い出しができました。お店が開いているとホッとしますね。
商店街では、朝日新聞の記者が取材していました。
店舗が被災して路上で商品を売ってるお店には「写真、取材お断り」の張り紙があり(なので私も写真は撮ってません)その店主さんに取材していました。
こういうところでの取材は大変でしょうね。
「取材って言ってカメラを向けるんじゃなくて、いろんな話を聞くようにしたほうがいいよ」とその店主さんが記者に話していました。たぶん、店主さんは無遠慮にカメラを向けられた経験があったのだと思います。
対象的なのは、同じ商店街にあったスーパー、サンリブ。
アーケードに覆いかぶさるように倒壊していました。
帰り道、ガス管緊急工事をやっていました。熊本市全域でまだまだガスは復旧していません。大阪ガスの車が停まってました。工事してる人に話しかけると、やはり大阪から応援に来てるのだそうです。ありがたい事です。聞くところによると大阪ガスの応援は600人とか。近所で見かけたのは大阪ガスでしたが、きっとほかのところからも応援がたくさん来ているのだと感じました。
商店街で買ったものとレトルトで夕食。
グリンピース美味しかった。
朝食はトーストやヨーグルトなど両親が毎朝食べているものをいつもどおり食べられました。
写真は3日目の朝食(東京から持ち込んだシリアル)
朝食後、父が車で出かけるというので同行することにしました。
街の様子も知りたい。
健軍電停から県道28号高森線を益城方面に走ります。
実家があるのは、熊本市東区の健軍電停(市電の終点)あたりです。一番被害の大きな益城町とは隣り合っているところで、実家の周辺も崩れた壁、屋根瓦など地震の爪痕があちこちの建物残されていますが、益城町に入ると更に厳しい状態でした。
もちろん各種報道で知ってはいましたが、実際目の当たりにすると更にズンと心にくるものがあります。道の両脇に倒壊家屋が続き、道路もデコボコ。マンホール部分、橋の両端はほとんどが陥没しています。でも、車道に関してはかなりの部分で応急処置が施され、渋滞もなくスムーズに走れます。
一番被害の甚大だったところは通行止めで信号機も消えたままでしたが、その他の場所は信号も点灯していました。一週間でこれだけ復旧しているとは。関係者の皆さんの不眠不休の働きがあったんだろうと思いました。それでも、歩道や私有地のデコボコはそのままで、崩れ落ちたブロック塀、石垣、家屋、看板などが延々続きます。
益城町役場の前はボランティアの若者が交通整理をしていたようでした。ほんとにご苦労様です。役場のあたりはやはり災害対策本部があり、支援活動の拠点でもあるので人々の出入りが多く、変な表現ですが活気がありました。支援物資を大きなビニール袋に詰めてオオクニヌシかサンタクロースのように肩に担いで運ぶ人たちの姿も。
避難所の駐車場脇に、犬小屋ごと連れてこられたワンちゃんが繋がれていました。家ごと避難できてよかったね。
建物の危険診断も始まったようで、木山地区あたりは「危険」「注意」「調査済」の紙が貼られた家屋もたくさんありました。調査員らしき人たちも何組も見かけました。
ご苦労様です。
益城町は田畑が広がる田園地帯ですが、田んぼにはレンゲの花がびっしり咲いていてとてもきれいです。
そんな田んぼのの広がる一角に、たくさんのはがしたアスファルトが置いてあるところがありました。道路工事も急ピッチで進めているのが伺えます。
水道が復旧していないので、田んぼの中で水が湧いているところに汲みに来ている人々もみかけました。
用を済ませ、帰宅して家の片付けをやったあと、今度は母と外出。
近所の商店街へ食料品の買出です。
八百屋さん
魚屋さん
他にも花屋さん、洋服屋さん、たい焼きやさん、弁当屋さんなど営業中。
野菜果物を中心に買い出しができました。お店が開いているとホッとしますね。
商店街では、朝日新聞の記者が取材していました。
店舗が被災して路上で商品を売ってるお店には「写真、取材お断り」の張り紙があり(なので私も写真は撮ってません)その店主さんに取材していました。
こういうところでの取材は大変でしょうね。
「取材って言ってカメラを向けるんじゃなくて、いろんな話を聞くようにしたほうがいいよ」とその店主さんが記者に話していました。たぶん、店主さんは無遠慮にカメラを向けられた経験があったのだと思います。
対象的なのは、同じ商店街にあったスーパー、サンリブ。
アーケードに覆いかぶさるように倒壊していました。
帰り道、ガス管緊急工事をやっていました。熊本市全域でまだまだガスは復旧していません。大阪ガスの車が停まってました。工事してる人に話しかけると、やはり大阪から応援に来てるのだそうです。ありがたい事です。聞くところによると大阪ガスの応援は600人とか。近所で見かけたのは大阪ガスでしたが、きっとほかのところからも応援がたくさん来ているのだと感じました。
商店街で買ったものとレトルトで夕食。
グリンピース美味しかった。