何年か前
知人が久し振りに訪ねてくれました
懐かしい話に コーヒーもおいしく
おかわりして
さて またね という頃になり
玄関まで送ろうとすると 突然
とてもいい話がある と居間に戻り
宗教の話が延々と続きました
[ 宇宙の神秘というか
なにやら人の知恵ではどうにもわからない部分が
この世にはあって
神というか 至上の存在というか
そんなものがあるのかなとは考えないでもない が
なになに教 何々会 何々主義協会とか具体的に言われると
信じているものは無い
あなたが信じる その教えに関してだが
人がいわば人工的に作り上げた存在を
疑いも無く信じきれる覚悟は
とうてい自分には無い ]
率直にそう答えると
友である私がこれほどに勧める最高の教えなのに
なぜ あなたという人はワカランチンなの
という感じで 子供に諭すように 延々と説教されました
私は そのただならぬ雰囲気にすくなからず圧倒され
我慢してとにかく聞くだけ聞こうと覚悟しました
その様子は
私の愛する
あの教祖様のおっしゃる
あの教祖様の導かれる
あの教祖様が もったいなくもお示しになる
最高の宗教なのに なぜ お馬鹿なあなたにはわからないのでしょう
という調子
何年か付き合った愛すべき人だったので
その変化には
驚きというより 悲しみが勝りました
なにがそうさせたのか
もちろん宗教はまったくの自由です
他の者のをも尊重するルールの範囲でなら
押し付けの理論
多くの戦争が
周りにいるものにも自分の持つ正義と自由を
という
余計なお世話の大義によって起きていることの不条理
いわゆる正義の戦争よりも
不正義の平和のほうがいい
少年の頃から この考えは変わりません
そこまでしてはほしくないと思っているのに戦争という手段をとってまで
自分の主義を貫こうとする連中
この考えは絶対に間違いなどない と信じきり
他者の意見を聞こうともしない
そもそも 意見を言わせない(正しいのは ただひとつ なのだから)
おおきな おおきな おおきなお世話です
そんな連中のために幼子を恐怖のどん底なんぞにあわせたくありません
歴史が進むにつれ
いわゆる高度に進化した?文化 というものは
情け容赦なく 他を 巻き込もうとする傾向が強くなっているのでは
自分は絶対に間違っていない
その 間違っていない考えを他の者にも施すのがなぜいけないのだ
という
どうにも困った恐ろしい思想
運命共同体のメンバーになることを
疑いも無く強制する思考方法
[わしらは、国家のない国に生まれたかったのう]
井伏鱒二さんの【黒い雨】のなかの文章です
いわゆる正義の戦争よりも
不正義の平和のほうがいい
これも そうです
繰り返し 繰り返し 何度でも読みたくなる本が
何冊かあります
最近は日本の平和ボケ(表現がよくないですね)が少々怖く
硬いことを時々考えます
サッパリとして優しい風の
5月7日の昼下がりですが