国語の授業が終わった
席を立ち 隣のクラスの憧れの君でも眺めてこようかな ??(冗談です・・・これくらいの
行動力がある性格なら 人生の色彩もケッコウちがったのでしょうが・・・) と 歩き始めると
なぜか先生が振り返り クラスの5、6人(国語の授業が好きだったような連中)が集められた
教室の片隅で先ほど終えたばりの授業に関し質問を受けはじめた
“ この子は どのような境遇なのかな
まだ施設にいる子かな
それとも ・・・・・ちがうのかな ”
といったようなことだった
文中の主要登場人物である少女の境遇について一人づつ順番に聞かれ 私は最後の回答者だった
前の5、6人は全員私の考えとはちがった答えだった
私は つい 皆と同じだと答えてしまった
先生は ンーん そうか と残念そうに首をかしげ 肩を落として教室を去った
下校の道すがら わたしは 自分に 少なからず
腹をたてていた
どうして 自分を貫かないのだろう
多数意見に引きずられ
情けない こうして後悔している
どうも自分は 大事なところで
他の人への気兼ねから自己主張をおさえこむところがある
首をかしげながら教室を去るときの先生には
自分の教え方には どこか改善の余地があるのだろうな
といっているような
背中の寂しさがあったように
中学一年生の自分にも感じられた
ゴメンナサイ 教え方に誤りはなかったですよ
と 告げたい衝動にかられる
40年以上経た今でも
昭和40年頃の 中学一年国語の教書のなかの小説
内容は 身なりは擦れているがほんとうのところはとても純粋なこころの少女を主人公に
人間の性善を悲しくも描こうとしているようなものだったような記憶がある
いまだに作者も 題名もわからない
志賀直哉の作品? のような雰囲気の文章だったが
40年以上も前のことが
このように 今でも ときどき 私を尋ねてきます
その先生のその後は 残念ながら わからずにいます
〔事の次第を載せることが遅れてしまってもうしわけありませんでしたが
実は この小説は 川端康成氏の ≪掌の小説 にある [夏の靴]≫ であることを
ある方から教えていただいていたのでした 文庫本では四ページのものです
小説の最終行に 先生の問いの答えが示されていたものなのですが 何故なのか
(私の記憶が曖昧すぎたため と思われますが)ボンヤリとした内容の記事になって
しまっていました
でも この記事をださせていただいたときの情況のままにしてあります
スミマセン 陳謝もうしあげます
2020・7・24記〕