昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

言葉(3)道化師の蝶

2012-03-23 09:10:54 | 言葉
 今年の芥川賞は<共食い>で受賞した田中慎弥氏の「もらっといてやる」発言で異常な盛り上がりを見せたが、<異常>という点では同時受賞の円城塔氏の<道化師の蝶>も「こんなもの小説ではない」とか「ひとりよがり」とか酷評する選者もいた作品だった。

 そこで<道化師の蝶>を読んでみた。 
 
「旅の間にしか読めない本があるといい」興味深い出だしだ。
 そんな思いつきを真面目に取り上げて財をなしたエイブラムス氏が登場。
 彼は大型旅客機の中で、銀糸で編まれた小さな捕虫網を使って<着想>を捕まえる。
 
 <飛行機の中で読むに限る>を出版。
 たまたま豪華客船で回し読みされて受けたことで、彼は「この本は豪華客船に乗っている者でなければ分からない」と強弁。
 <豪華客船御用達>のキャッチで飛ぶように売れるようになる。そう言われると確かめたくなる人情を利用した論法で、購買層を拡大した。

 ここまでは凡人に理解できたが、その先次々と繰り出される円城氏の論法には付いて行けず放り出してしまった。

 高樹のぶ子氏の言葉を借りれば、「根気強い読者には根気よく彷徨って貰えるだろう。得心できるより、得心できないものに快を感じる読者もいるだろうが、それは私ではない」

 「量子力学の<シュレディンガーの猫>じゃないけれど、<死んでいてかつ生きている猫>が、閉じ込められた青酸発生装置入りの箱の中で、にゃあ、と鳴いている、その声を聞いたように思った」という川上弘美氏の理論物理学のわけのわからなさに例える方もいる。
 

 島田雅彦氏は「この作品はそれ自体が言語論であり、フィクション論であり、発想というアクションそのものをテーマにした小説だ。自然界に存在しないものを生み出す言語は、生存には役立たないもの、用途不明なもの、しかし、魅力的なものを無数に生み出すユニットであるが、小説という人工物もその最たるものである。日々妄想にかまけ、あるいは夢を見て、無数の着想を得ながら、それを廃棄し、忘却する日々を送る私たちの営みは、まさに小説に描かれているような性懲りもないものである。この作品は夢で得たヒントのようにはかなく忘れられてゆく無数の発想へのレクイエムといってもいい」とまとめている。

 作者の円城塔氏も言っている。
 
「歳をとって参りますとわからぬことが増えてきまして、このたび賞を頂けた理由についても考えれば考えるほど、どんどんわからなくなっております。…人にとっての現実とは途方もなく様々なのだと、この思いは年々強まり、勢いは増す様子です。してみると、遂には互いが生きていることさえ実感できぬ境地に至るのではと身が震え、こうして生きる者があるのだと、証言を残す必要を感じるのです」

 ぼくは先日三鷹通信で取り上げた、現役編集者主宰の読書会<ベストセラーとは>を思い出した。
 400万の大ヒットとなった<脂肪計のタニタの社員食堂>も、ダイエットに苦労している人たちが何かヒントを得るために買うのであって、その内容を具体的に活用する人は少ないそうだ。
 エイブラムス氏の<飛行機の中で読むに限る>と同様、この最後まで読み通されることないのに、購入されるこの<道化師の蝶>も、編集者の巧みな仕掛けの産物として売れるのだろう。