尼ケ崎彬学習院女子大学名誉教授は日本人の美意識が変革していく様を鋭く説きます。
花紅葉の「温かい」「太った」平安時代から、新しい中世の美意識「枯れ」「痩せ」など、「冷え」の美を尊ぶ時代に入る。
侘茶の始祖、村田珠光は言っています。
「月も雲間のなきはいやにて候」
茶会は当初、大名や富豪の遊びとして、茶道具は中国製の「完全性」「優美」が好まれた。例えば<曜変天目茶碗>
そのうち、「ゆがんで」「まだら」な「冷え枯るる」備前信楽<備前花生>などが評価されるようになる。
「わび」表面からは美がすでに奪われた状態、いわば中世の無常観ですな。
発生期→最盛期→消滅(無)という過程。
幼児→大人→老人→死
春→夏→秋→冬
朝→昼→夕→夜
*視点(パースペクティブ)の移動
*衰退期(死の直前)に視点を移動させる
*既に失われた価値あるものを思い出す
*価値観の転換
*豊かさ(金・地位・名誉)から身に沁みること(感動)へ
・・・他にもいろいろ興味深いお話があったのだが・・・
特にボクの気を引いた<いき>について。
江戸時代に入って、身分制度の逆転が見られ、町人>武士、江戸>京都という意識の変遷があった。
「いきこそ江戸町人の美意識」
「野暮と化け物は箱根から先」
<守貞謾稿>に「当世の美女」という図がある。
美女の理想像を選ぶときに守貞は完璧な髪形よりもほつれ毛の多い洗い髪を選んだ。時代の好みが変わったのだ。
このような女を「いきなあねさん」という。
ここにヴォーグの写真がある。 ある意味完璧な女だ。
しかし、<いき>という観点から見ると<抜け感>がほしい。
デイジー(だらしない)ということか。
例えば日本の今風のファッションに見るなら、
う~ん、ちょっとくずした今風の美人だ。
以上、語り足りていないが、尼ケ崎先生の講演は来年の2月1日にも予定されている。期待しよう。
花紅葉の「温かい」「太った」平安時代から、新しい中世の美意識「枯れ」「痩せ」など、「冷え」の美を尊ぶ時代に入る。
侘茶の始祖、村田珠光は言っています。
「月も雲間のなきはいやにて候」
茶会は当初、大名や富豪の遊びとして、茶道具は中国製の「完全性」「優美」が好まれた。例えば<曜変天目茶碗>
そのうち、「ゆがんで」「まだら」な「冷え枯るる」備前信楽<備前花生>などが評価されるようになる。
「わび」表面からは美がすでに奪われた状態、いわば中世の無常観ですな。
発生期→最盛期→消滅(無)という過程。
幼児→大人→老人→死
春→夏→秋→冬
朝→昼→夕→夜
*視点(パースペクティブ)の移動
*衰退期(死の直前)に視点を移動させる
*既に失われた価値あるものを思い出す
*価値観の転換
*豊かさ(金・地位・名誉)から身に沁みること(感動)へ
・・・他にもいろいろ興味深いお話があったのだが・・・
特にボクの気を引いた<いき>について。
江戸時代に入って、身分制度の逆転が見られ、町人>武士、江戸>京都という意識の変遷があった。
「いきこそ江戸町人の美意識」
「野暮と化け物は箱根から先」
<守貞謾稿>に「当世の美女」という図がある。
美女の理想像を選ぶときに守貞は完璧な髪形よりもほつれ毛の多い洗い髪を選んだ。時代の好みが変わったのだ。
このような女を「いきなあねさん」という。
ここにヴォーグの写真がある。 ある意味完璧な女だ。
しかし、<いき>という観点から見ると<抜け感>がほしい。
デイジー(だらしない)ということか。
例えば日本の今風のファッションに見るなら、
う~ん、ちょっとくずした今風の美人だ。
以上、語り足りていないが、尼ケ崎先生の講演は来年の2月1日にも予定されている。期待しよう。
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