昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(184)人類は文明の進化路線に逆らえるか(47)山本太郎の手紙

2013-11-03 04:47:17 | エッセイ
「ちょっと失礼だよね」
 
 山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡した問題について、ビートたけし氏が、TBS系情報番組<情報7days ニュースキャスター>で苦言を呈した。
 
 
「我々にとって、天皇陛下というのは、戦後日本の文化や、あらゆるものの象徴だからね。その方に政治的な意見を考えさせちゃいけないね。それは内閣がやることだもん」と。

 この件についてはいろいろな方が意見を述べている。
 中には足尾銅山鉱毒事件で田中正造が明治天皇に直訴した件にからめて、已むに已まれぬ行動だったのではと同情する方もいる。
 
 地球科学環境博士の堀川大樹氏は、
「我々国民に求められているのは、山本太郎という存在を意識上にのぼらせず、スルーする技能である。・・・いたずらっ子も周囲から相手にしてもらえなくなれば炎上を仕掛けるモチベーションが無くなるというものだ」と。
 
 堀川氏の意見にも一理あると、ぼくもスルーするつもりだったが、たけし氏の意見を聞いて考え込んでしまった。
 たしかに戦前は政治的な権限も天皇にあったから<直訴>する行動にも意味があった。
 しかし、戦後の<天皇>という存在はまったく違っている。
 世界にも類例がない<象徴>という特異な存在だ。
 
 もちろん、政治的な権限はないから<直訴>の対象にはなりえない。
 ここで、<政治>とは何かを考えてみた。
 我々国民が快適に生活できるように配慮し、施策するのが政治である。
 今回問題視された<原発>問題に関して言えば、安倍首相の言うように「当面は国民のエネルギー問題に配慮する必要があるので即<脱原発>とはならない」ということになる。
 
 <原発>に核廃棄物処理などの問題があるにせよ、そのうち何とかなるでしょうという楽観的な姿勢が、世界的に見ても、現<政治>の実態だ。
 つまり人類は快適な生活を求めて、難題をかき分けて前へ前へと進み続ける<叡知ある動物>なのだ。
 そんな人類に山本氏は一抹の不安を抱いているのだろう。
 
 <象徴天皇>は、そんな人類にブレーキをかける存在であってほしいと思ったのかもしれない。
 しかし、<政治家>として取るべき行動だったかどうかが問われている。
 
 


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