昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(208)第24回読書ミーティング(6)東京β(3)

2017-07-28 06:01:59 | 三鷹通信
 「東京β」東京のランドマーク変遷史。
 明治時代の東京におけるランドマークは、エッフェル塔完成の翌年、1890年に完成した浅草の凌雲閣、通称「浅草十二階」である。
 江戸時代の猥雑さを残した庶民の盛り場「浅草六区」に隣接した場所に建てられた。
 当時では圧倒的な52メートルという高さを誇っていた。
 江戸川乱歩の「押絵と旅する男」に登場する。
「雲が届きそうな低いところにあって、見渡すと、東京中の屋根がごみみたいに、ゴチャゴチャしていて、品川のお台場が、盆石の様に見えて居ります。目まいがしそうなのを我慢して、下を覗きますと、観音様の御堂だってすっと低い所にありますし、小屋掛けの見世物が、おもちゃのようで、歩いている人間が、頭と足ばかりに見えるのです」

 1923年の 関東大震災で倒壊したのを機に、浅草の凋落は急速に進む。
 当時の本所や深川などの<貧民窟>の住人たちの生活も大きく変わっていく。
 第一次世界大戦を機に、日本は造船業などを中心とした産業の急速な発展期を迎え、この地は工場地帯として急速に発展していった。
 東京電燈の千住火力発電所の四本の巨大煙突、通称「お化け煙突」が完成したのは、1926年。
 煙突の高さは83メートル。浅草十二階より高かったので、ランドマークとして機能したことは間違いない。 
 
 1953年の五所平之助監督作品「煙突の見える場所」では、冒頭に煙突の姿が象徴的に映され、騒々しい下町での生活が描かれる。
 
 高さ333メートルの東京タワーが完成したのは1958年。
 戦後、電気炊飯器や冷蔵庫といった家電の普及がひと通り進むと、今度は娯楽の道具であるテレビが家庭へと浸透していく。
 その新時代を象徴する電波塔=東京タワーが、新しいランドマークとして、高度経済成長を成し遂げる日本経済の中に君臨するのである。

 2005年に公開された映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台は、騒々しい商店街、高度経済成長が始まろうとしていた矢先の1958年である。この年に東京タワーが完成した。 日本人が心を一つにして成し遂げた戦後復興を象徴するモニュメントとして東京タワーは描かれた。
 
 1993年に刊行された岡崎京子「東京ガールズブラボー」で、主人公のさかえは沢田研二「TOKIO」の中で描かれたような未来都市のイメージのままに東京を頭に描いている。
 だが実際に東京、巣鴨の親戚の家で生活を始めたさかえの周りには、ニューウエーブもナウもなく、現実と想像の東京の違いの大きさに幻滅する。

 東日本大震災の後、2012年2月29日に竣工した東京スカイツリーは、東京タワーに代わるテレビ塔として現在では新しいランドマークとして定着しつつある。
 「踊る大捜査線」最終編では、お台場と芝浦をつなぐレインボーブリッジを大写しにし、お台場の街の発展という作品のテーマを一つの絵として提示した。
 今後、スカイツリーが何を象徴する存在になるのか。
 それを見出すには、まだ少し時間を要するだろう。

 <蛇足>
 満月の夜、東京スカイツリーの展望台から消えた「レロレロ姫」は再び地球に戻って来るのだろうか?

 
 






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