昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(242)「レロレロ姫の警告」に対するコメント

2015-01-05 10:09:56 | エッセイ
 今月発刊された「レロレロ姫の警告」に関するコメントを紹介させていただきます。
 先ず、出版社「文芸社」のコメント。
 
 石田家の長女として生まれた石田愛は、天上界から地上に降り立ったレロレロ姫だった。生まれた時は難病を患っており、会話ままならない娘だったが、成長するに従って、自身に課せられた使命を悟り、自然に逆らうのはやめよとのメッセージを発信し始める。
 意外な展開を迎える結末では、著者からのメッセージが読み取ることができるファンタジー小説


 都会と地方を結び、シニアと若者を結ぶ活動を三鷹で展開するH氏からのコメント。
 難病の子どもが大地震のショックでか、超能力の少女に変身するところから始まるこの話は、いきなり第一人称の「わたし」が語ります。
 温かい家族に見守られる幼女時代が三人称で語られ、10才の時の東日本大震災からの三鷹を舞台にした展開が再び「わたし」で語られるサスペンスですが、読みやすいです。
 大震災が自然との調和を忘れた人類への警告という「わたし」の見解と聡明な同級生三島くんとの論争が、カバーの写真にある三鷹跨線橋からの富士の風景を背景に描かれます。
 面白くて一気に読めました。
 どうやって不思議な小説を発想するのだろうと思いましたが著者は難病のご自身のお孫さんと、育てるご家族を描いたのですね。
 それと、地震・津波・原発事故への思いを伝えたいことと感じます。
 ・・・
 昭和のマロさん、すばらしい好齢者です。
 マロさん、2作目をお願いしますよ。それも三鷹を舞台に頼みます。
 考えさせることもあり、かつうれしい小説で、おススメです。


 ご自身もエッセイを世に出され、ビーズの専門家でもあるKさんから。
 内容は以前からの連載でおおむね理解していましたが、やはり一冊にまとまると俄然様子が違います。好きなだけ読み進められるということは、とても大事なこと、と改めて認識されました。
 最初に感じたことはとてもリズム感にあふれているということ、タイトルごとにタッチが躍動、次へ進むよう読者の背中を押してくれます。
 それは、小学生にも大いに受け入れられるということではないでしょうか。
 姫と姫を取巻く4人の関係、人物像がとてもリアルで分かりやすく、読者も仲間に入れてもらって共に喜んだり、悲しんだり、くすっと笑いがこみ上げてきたり。
 それが躍動感につながっているのでしょうね。
 ・・・と、ここまで60ページくらい一気に読み進めた私の感想。


 現役の編集者で、ご指導いただいたS氏のコメント。
 ・・・編集をしていて長年感じてきたことですが、
 装丁、製本されて本になってみて、何がわかる!
 本になって見なければわからないこと!
 というのがあります。
 そこが単行本編集者の楽しみでもあるわけですが。
 本書も、まさしく手に取らせていただいた時に強く感じたことがあります。
 まず言えるのは、
 この本が職業的な書き手のルーチンの仕事と一線を画するものであること。
 また、素人が単なる創作欲にしたがって頑張ってみたもの、とも、なんだか違います。
 この本が放っているのは、
 大澤さんが生きてこられたことの総力を上げて作ったもの、
 という印象でしょうか? 
 以前に、原稿を読ませて頂いたときに、レロレロ姫とは、難病という宿命を抱いて誕生されたお孫さんがモデルであることを伺いました。
 本書の後書きには、大澤さんの足のことが書かれていました。

 「禍福は糾える縄のごとし」
 この本が今世に出て、やや遠慮がちでありながら放っているのは、まさしくその言葉の意味するオーラだと思われます。

 先輩のT氏からのひと言。
 「レロレロ姫の警告」興味深く拝読致しました。発想が面白く示唆に富んでいると感じました。

 他にも文章ではありませんが、先輩のM氏、H氏、そして応援団長と自らを称したT先輩他、いろいろな方からお言葉を賜ったことを感謝を持って付け加えたいと思います。

















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