昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(589)政治⑥ 著名為政者の手練手管(織田信長の場合)

2019-06-12 05:49:42 | なるほどと思う日々
 人間集団における秩序を図るために、歴史的に著名な為政者はいろいろな手練手管を使っている。
 「織田信長の場合」

 当時、勢力を強めていた武田勢に対し、織田信長、徳川家康は軍議の席を持った。
 
 家康の家臣、酒井忠次は招かれて軍議に出た。

「秘かに武田勢の後ろに回って、鳶ヶ巣の砦を乗っ取るがよろしかろうと・・・。お任せくだされば今夜の内にも敵の後ろにまわり、明日の明け方には乗っ取ってごらんにいれます」
 
 忠次の言葉に、信長は大声で笑いだし、
「そのような、コソ泥のような働きは三河や遠州で、小勢で戦うときにすることじゃ。織田と徳川が3万5千の大軍を率い、武田勢と雌雄を決しようとする時に、そんなきたない手が使えると思うか」
 とさんざん嘲られて、忠次は顔を真っ赤にして席を退いた。

 軍議が終わってから、信長は家康を呼んで、「忠次をもう一度ここへお招きくだされ」と言った。
「忠次、先刻の策略、まことに感服したぞ。あのときわしが、その方を嘲ったのは、大勢の者がここにいたからじゃ。万一、あの中に敵に内通している者があったなら、せっかくの妙計も役立たぬ。さあ、その方、直ちに今夜ここを出立して明日の明け方に鳶の巣を乗っ取れ!」

 忠次は面目をほどこして、出陣の用意をした。
 
 出発という時、信長はまた忠次を呼んで「今夜は、信長が自分で行きたいくらいじゃ。あだに功名を、忠次に取られてしまうぞ」と笑った。

 嘲るときも相当ひどいが、あとで喜ばせることも、なかなか上手である。
 
 安倍首相が、イラン訪問の途に発った。
 
 果たして、彼の手練手管は?