昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(180)第23回読書ミーティング(2)

2017-04-10 05:56:33 | 三鷹通信
 <村上春樹>ファンのことを<ハルキスト>と言う。作品が出れば必ず読むというコアなファンで30万人はいるという。
 その他に作品は読むが<アンチ・ハルキスト>と呼ばれる人たちもいるそうだ。
 <エルサレム賞>を受けたときの受賞スピーチを思い出した。
 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と言った。 主催者であるイスラエルの戦争や暴力行為を批判したと言われている。
 そんな彼に対して、政治的に反感を持つ人もいるだろう。
 アンチだけど彼がどんなふうに書いているのか、興味津々、刺激的な作家という一面もある。
 
 ハーバード大学名誉教授で村上作品の翻訳者であるJ.ルービンさんが言っている。 「私のためにだけ書いてくれた」という読者も多い。
 「なぜ村上さんの作品は、僕達の心の深いところにあるものをそんなにはっきりと描くことができるのだろう。わかってくれるのだろうか」「<よい文学>の条件をパーフェクトに満たしている」

 ボクは、<ノルウェイの森>の前に彼のデビュー作<風の歌を聴け>を読んでいることを思い出した。 しかし覚えているのは、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という冒頭の部分と、「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」鼠はカウンターに両手をついたまま僕に向かって憂鬱そうにそうどなった。という箇所だけだ。
 ・・・鼠だなんて変な名前をつけるんだ・・・という印象だけが残っている。
 そこで今回の講義を受けて改めて読み返してみた。
 最終章とあとがきで、少なからず村上春樹が影響を受けたというデレク・ハートフィールドについて書いている。
 ハートフィールドは、郵便局、ハイスクール、出版社、人参、女、犬、実に多くのものを憎み、好んだものは銃と猫と母親の焼いたクッキーだけだった。
 母が死んだ時、彼はニューヨークまででかけてエンパイア・ステート・ビルに上り、屋上から飛び下りて蛙のようにぺしゃんこになって死んだ。
 彼の墓を訪れた村上春樹はこう締めている。
 「宇宙の複雑さに比べれば」とハートフィールドは言っている。
 「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ」

 村上春樹がめずらしく自作<騎士団長殺し>を語った朝日新聞のインタビュー記事を、講師が添付してくれた。
 講師が赤線を引いてくれた個所を列記してみる。
 「『ねじまき鳥クロニクル』から、はや20年以上。自分で言うのも何だけれど、20年の差を感じた。昔書けなかったことが書ける手応えがある」
 「僕はこれまで、家族を書いてこなかった。でも今回は、一種の家族という機能がここで始まる」
 「この物語の中の人は、いろいろな意味で傷を負っている。日本という国全体が受けた被害は、それとある意味で重なってくる。小説家はそれについて、あまり何もできないけれど、僕なりに何かをしたかった」
 「長編小説はツイッターとかフェイスブックみたいな、いわゆるSNSとは対極にある。短い発信ばかりが消費されていくのが今の時代。読み始めたらやめられないものを書くのが、僕には大事なことです」

 このミーティングの初めでは「騎士団長殺し」を読む気はしない、と言っていたが、今無性に読んでみたくなった。