竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 その七 和歌技法「見立て」

2012年10月21日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その七 和歌技法「見立て」

 和歌の作歌技法に「見立て」と云うものがあります。例によってインターネットで定義を調べますと、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に次のように記載されています。

見立て(みたて)とは、ある物の様子から、それとは別のものの様子を見て取ること。その別の物で対象物を言い表す、一種の言葉遊びとしてもよく見られる。比喩遊びとも言う。
日本では文人の遊びとして、ひとつの流れを作っており、芸術表現としても和歌、俳諧、戯作、歌舞伎などで広く見られる。

 この定義では和歌における「見立て」技法は明確ではありません。もう少し調べてみますと、法政大学の梶裕史氏は、その論文「上代和歌における『見立て』についての考察」で次のように和歌の「見立て」技法について述べられています。

和歌に「見立て」の技法が顕著に成立するのは「古今和歌集」の時代である。
A①み吉野の山べに咲けるさくら花雪かとのみぞあやまたれける(春上・六〇・紀友則)
A②春来れば宿にまづさく梅の花君が千年のかざしと見る(賀・三五二・紀貫之)
A③久方の雲のうへにて見る菊は天つ星とそあやまたれける(秋下・二六九・藤原敏行)
A④秋風に声をほにあげてくる舟は天の門わたるかりにぞありける(秋上・二一二・藤原菅根)
A⑤ちはやぶる神代も聞かずたつた河から紅に水く々るとは(秋下・二九四・在原業平)

確かにある物を他の物になぞらえて表現する技法は既に「万葉集」にも見える。しかし万葉集の見立ては<白梅→雪>、<露→玉>のように、日常的な視点による平明は比喩の範囲を出ないと評されるのが通常である。それが「古今集」になると、二者間に超現実的な新しい関係を発見し、日常的な視点から大きく離れたものに捉え直すまでに発展していると言われ、素材も表現も多様になっている。小沢正夫氏は、縁語・掛け詞とともに「『古今集』の表現技術の一番特徴的なものである」とされたが、このことは、日本古典文学大系「古今和歌集」の歌風についての概説(西下経一氏執筆)を参照しても明らかである。

 これですと、和歌の「見立て」技法の概念が掴めると思います。梶裕史氏の論文を全文引用するわけにもいきませんが、氏は万葉集の歌にも「見立て」技法を認めています。鈴木日出男氏の論文を引用する形で<白梅→雪>と<露→玉>の例を示しています。

<白梅→雪>
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(巻五・八二二・大伴旅人)
<露→玉>
さ雄鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露(巻八・一五九八・大伴家持)

 また、氏は、自身のものとして「見立て」発想の万葉集の歌を紹介しています。ここでは、その抜粋を紹介します。

① ほととぎすこよ鳴き渡れ燈火を月夜に擬へその影を見む(巻十八・四〇五四)
② 藤浪の影なす海の底清み沈く石をも珠とこそあが見む(巻十九・四一九九)
③ わが背子が奉げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(巻十九・四二〇四)
④ 松影の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に(巻十九・四二一九)

 これらの歌について氏は、「右の歌々は『古今集』の見立ての歌に比べると技法は素朴であるが、いずれも、瞩目の物象を別の物に置き換えて見ようとしている、もしくは非現実の表現を現実と感受しようとしている、そういった心意が読み取れる例である」と述べられています。④の歌は標から橘諸兄の私邸の苑池の情景を詠った歌です。そして、歌は標から私邸の苑池を海の景色に見立てたものと気付く訳です。このため、氏は「作歌事情を記した題詞や左注の補助があって初めて『見立て』の歌だと気付くもので、歌だけ自立して『ある物を別の物に置き換える』表現を完結していない。だから古今集の見立ての歌とはまだ距離がある」と述べられています。
 法政大学の梶裕史氏の論文を恣意的に「摘み食い」での引用をさせて頂きましたが、おおよそ、ここで紹介した視点が万葉集における「見立て」技法の立ち位置と思います。


 さて、新鮮な気持ちで、次の歌を楽しんでみてください。ここには万葉集時代の歌の約束があります。その約束の下、歌は<雪→白梅>と見立てています。時期的には天平前・中期で、背景には先行する大伴旅人の巻五・八二二を踏まえたものと考えられます。
 万葉集巻五・集歌864の前置漢文等を参照すると、大伴旅人は大宰府時代に奈良の都に居る吉田連宜に梅花謌卅二首や遊松浦河等の詩歌を載せた私歌集を贈っています。従いまして、大伴旅人の詠う集歌822の歌等は都人に知られた歌であったと考えます。そのため、人々が引用することは不自然ではないと思います。

駿河采女
集歌1420 沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
訓読 沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るさへに流らへ散るは何物(なにも)し花そも
私訳 沫雪なのでしょうか、まだら模様に空から降ると見るほどに空から流れ散るのは何の花でしょうか

巨勢朝臣宿奈麻呂の雪の謌一首
集歌1645 吾屋前之 冬木乃上尓 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳
訓読 吾が屋前(やど)し冬木(ふゆき)の上に降る雪を梅し花かとうち見つるかも
私訳 私の家の冬枯れした樹の上に降る雪を、梅の花かと、つい見間違えてしまった。

読み人知れず
集歌2325 誰苑之 梅花毛 久堅之 消月夜尓 幾許散来
訓読 誰(た)が苑(その)し梅の花ぞもひさかたし清(きよ)き月夜(つくよ)に幾許(ここだ)散りくる
私訳 誰の庭の梅の花びらでしょうか、遥か彼方から清らかな月夜にたくさん降り散って来る。

 万葉歌人は素晴らしいもので、この三首が詠われたと同じ頃、又は、少し先行する時期に次の歌が詠われています。香具山に降り積もった雪を祭日に着る白栲と見立て、さらに、その白栲の見立てた様を梅林の開花と見立てています。<雪→白梅>はお約束の見立てです。それをこの歌では、さらに<雪→白栲→白梅>と二段階に見立てています。

読み人知れず
集歌1859 馬並而 高山乎 白妙丹 令艶色有者 梅花鴨
訓読 馬並(な)めて天香具山(あまかぐやま)を白栲ににほはしたるは梅し花かも
私訳 馬を並べて行った、天の香具山を白い栲のように彩っているのは、それは梅の花でしょうか。

 万葉集の歌の中では山に積る雪景色を山一面に白栲を広げた景色と見立てた歌は次に紹介するように他にもありますから、万葉時代では<雪→白栲>と見立てるのもまた、「見立て」の約束だったと思われます。

常陸國の歌
集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき児ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しい貴女が布を乾かしているのでしょうか。

 では、山に積る雪景色を山一面に白栲を広げた景色と見立てることが、当時の「見立て」の約束だとすると、万葉歌人に共通の認識となる歌が必要です。その歌を万葉集から探して見ると、次のような歌を見つけることが出来ます。歌は、推定で持統四年初春に宮中肆宴で持統天皇が宮人に代作させた歌と思われます。肆宴での天皇御製歌でしたら、それは宮中官人が知るべき教養となります。

天皇の御(かた)りて製(つく)らせしし謌
集歌28 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎて夏来(き)たるらし白栲の衣(ころも)乾(ほ)したり天し香来山(かくやま)
私訳 もう、寒さ厳しい初春が終わって夏がやってきたようです。白栲の衣を干しているような白一面の天の香具山よ。


 万葉集にも古今集に匹敵する「見立て」技法の歌が存在する可能性を認め、歌に「二者間に超現実的な新しい関係を発見し、日常的な視点から大きく離れたものに捉え直す」と云う心意を探して見たいと思います。
 柿本人麻呂が詠う歌に、朝霧に包まれる里を雲に浮かぶ天界と見立てたものや雲海に覆われた情景を海と見立てたものがあります。

朝霧の里の情景
集歌235 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為鴨類
訓読 皇(すべらぎ)は神にし座(ま)せば天雲し雷(いづち)し上に廬(いほ)らせかもる
私訳 天皇は神でいらっしゃるので、天空の雲の中の雷岳の上に行宮で宿られていらっしゃる。

雲海に隠された猟場の情景
集歌241 皇者 神尓之坐者 真木之立 荒山中尓 海成可聞
訓読 皇(おほきみ)は神にし坐(ま)せば真(ま)木(き)し立つ荒山中に海し成(な)すかも
私訳 天皇は現御神であられるので、真木の生茂る荒山の中に雲で海(雲海)をお作りになった。

 集歌235の歌は中秋の早朝、飛鳥の里に朝霧が立ち込め、雷丘の頂きがわずかに霧の上にある風景です。その風景を天上の世界と見做しています。推定で、持統六年八月十七日(新暦十月五日)の早朝の景色です。次に集歌241の歌は、文武二年二月六日(新暦三月廿六日)早朝の宇陀の里の情景です。その日の朝、宇陀川と芳野川とが合流する一帯、猟路の池付近に川霧が立ち込め、雲海の状況を呈しています。それを人麻呂が「海」と見立てたと思います。
 また、巻十の読み人知れずの歌にも、次のような「見立て」技法の歌があります。

集歌2140 璞 年之經徃者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰
訓読 あらたまし年し経ゆけばあどもふと夜渡る吾(われ)を問ふ人や誰
私訳 年の魂(き)が改まる年初が経って行くと、伴をつれにと夜に渡って行く私に「貴方は誰ですか」と問う人は、誰ですか。(又は、夜に渡って行く雁に「これからどこへ飛び行くのか」と問う人は、誰ですか)

集歌2202 黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
訓読 黄葉(もみち)する時になるらし月人(つくひと)し楓(かつら)し枝の色づく見れば
私訳 黄葉する季節になったらしい。赤く照る月、その天空の月の世界の桂の枝が色付いたのを眺めると。

 万葉集の歌の約束で、初春以降の夜に朋と共に旅立ちに飛び行くのは雁となっています。集歌2140の歌は、一見、旅立ちに朋を求める雁の歌のようですが、実際は雁を自分と見立て、妻問いに通う男から女への歌です。さらにこの歌の背景には「雁書」の説話が見え隠れします。さて、「問ふ人」は恋文を見たでしょうか。
 ご存じのように月光の色彩は季節毎に違います。集歌2202の歌はそれを下敷きにしたもので、季節で移ろう月光の色合いから秋の季節を感じた歌です。その月光の色合いを中国神話の「月桂」を下にした「見立て」で詠っています。奈良時代、月の「桂」を時に「楓」と表すこともありました。そのためか、ここでは月光の赤味に合わせる為に「桂枝」ではなく、赤味の意識の強い「楓枝」の表現になっています。

 このように、もし、万葉集に「古今集」に匹敵する「見立て」技法を使った歌があると認めると、歌の鑑賞により広がりが出るのではないでしょうか。この「見立て」技法の歌には自然の情景を見立てるものが多くあります。人間関係を詠うものでは「見立て」と云うより「見做し」や「比喩」と云う言葉で括られるのでしょうか。歌で自然の情景を詠うものが中心ですと、私のような暇人は歌の背景の自然を楽しむ暇は十分あります。ただ、和歌研究を専門にされるような御方が、自然の情景を十分に味わうような時間を持つことは難しいと思います。そこが、万葉集に載る歌の評価での相違の元ではないかと思っています。
 もし、お暇でしたら、四季の月光の色彩の差や三日月の弓の向き加減(弓と見るか、舟と見るか、または、蓋と見るか)を楽しんでいただけたらと思います。空気中の水分の差でしょうか、秋が深まるに連れ月光は次第に赤味を帯びたものから、白の強い黄色へと変わって行きます。同じように、夕日の色彩や霧の出現にも季節感があります。


本題からの脱線ですが、推定で次の歌が集歌2140の歌の返し歌になるでしょうか。

集歌2139 野干玉之 夜度鴈者 欝 幾夜乎歴而鹿 己名乎告
訓読 ぬばたまし夜渡る雁は欝(おほほ)しく幾夜(いくよ)を経(へ)てか己(おの)し名を告(の)る
私訳 漆黒の夜を飛び渡る雁は辺りが暗くその姿がはっきりと判りませんが、一体、幾夜を経てからか、雁は自分自身の名を、その鳴き声を上げて名乗るのでしょうか。


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