ゴダールの記憶 Ⅲ
ゴダールが亡くなったのは
2022年9月13日のこと。
朝日新聞の訃報記事を読む。

山田宏一と蓮実重彦の本を読み直そうと思い、
「トリュフォーそして映画」(話の特集)を開いたら、
トリュフォーの訃報記事が出てきた。切り抜いていたんだな。
1984年1月の朝日新聞だと思う。38年前の記憶。

ゴダールとトリュフォーは、
やっぱり2人で一組として考えていたところがある。
盟友でありライバル。どちらが上で下ということもない。
藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aというか。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーというか。
訃報記事を読み比べると、
38年のタイムラグがあるにもかかわらず、
二人とも「ヌーベルバーグ」の人で、
映画に「革命」をもたらした「旗手」というイメージ。
そこに間違いはないと思うけれど、これからも
ずっとそうやって語られるんだろうか。
育ちが悪くて不良だったトリュフォーは
優しくて優柔不断な恋愛映画ばかりを撮り、
お坊ちゃんでインテリだったゴダールは、
難解で政治的な映画に走った。
作風はまったく異なっていたとはいえ、
出演する女優に惚れまくりながら、
映画への強い愛情がほとばしっていた。
見返せば見返すほど、そう思う。
トリュフォーが亡くなったとき、
友人Fが電話をかけてきたことを思い出した。
自分がトリュフォー好きだということを知っていたのだろう。
人でなし(褒め言葉)のFにしては
なかなかいいリアクションだったと思う。
ゴダールが亡くなったとき、
友人Tがメールを寄こしてきた。
「Fはどう思ってるんだろうな」という文面が。
そういえばFにはずいぶん会っていない。
38年の時を経て、あんな人でなし(褒め言葉)の
ことを思い出すなんて。それもゴダール(とトリュフォー)の記憶のひとつ。
ゴダールの記憶 Ⅲ おわり
Ⅳに続きます。たぶん。