goo blog サービス終了のお知らせ 

Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

あまりに前のめりすぎても

2007年10月17日 | 日々、徒然に
余裕。
ゆとり。
落ち着き。

いまの自分に、まったく縁のない言葉である。

切迫感。
緊張。
慌ただしさ。

おお。しっくり来る言葉だらけではないか。
今日は、朝からデザインの発注やら、
Webサイトの立ち上げやら、
今度作るブックレットの打ち合わせやらで、
あっという間にタイムアウト。
自宅に戻ってからも、いろいろと懸案事項に
ついて考えたりする。
前のめりに動いていないと、心と身体が持たない気が。


※「前のめり」と言えば、
アレックス・コックス監督『ウォーカー』。
ニカラグアの独裁者になったアメリカ人の前のめりな生きざまを
ハッタリの効いたバカ演出で描いています。
とにかく前にしか進まないのだ、徹底的に。
ほとんど●●●●ですな。大傑作。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やさぐれ禁止、ふたたび

2007年10月15日 | やさぐれ男のつぶやき
やさぐれ禁止、と書いておきながら、
週の最初から慌ただしくなってしまい、
見事にやさぐれてしまった。

これからどうしようか、と悩むのではなく、
これからどうしようか、と考える。

これは確か鴻上尚史が言っていたことだと記憶しているが、
以後、僕の座右の銘のようになっている。



机にいる神様も僕を戒める。

愚かな風が吹いている。
息の仕方を知ってるだけで奇跡だぜ、と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やさぐれ禁止でいこう

2007年10月15日 | 日々、徒然に
我がドラゴンズ、
クライマックスシリーズ第1ステージ突破。
木曜からジャイアンツと第2ステージである。
東京ドーム、行きたいなー。
落合監督、ちょっと目が潤んでいたな。
泣くのはまだ早いぞ。それにしても涙もろい。
ドラゴンズの選手たちに勇気をもらって、今日も仕事だ。

最近はすっかりライター稼業に埋没していたが、
徐々に編集者モードに移行しつつある。
脳味噌の使う部分が、本当に違う。
デザイン。原稿。ディレクション。折衝。その他もろもろ。
肉体も精神も駆使する予感──。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やるせなさに酔いしれる

2007年10月13日 | 映画など
ジャ・ジャンクー監督『長江哀歌』を見る。
経済発展で揺れ動く大国の歪みと、
そんな国で不器用に生きる人たちを、ゆったりとした演出リズムで映し出す。
これまで、若者ばかりを描いてきたジャ・ジャンクーだが、
中年の男と女を主役にして、より深度のある映画となっている。
これはミゾグチか、それともアンゲロプロスか、
とシネフィル魂が炸裂しそうなのをぐっとこらえて、見る。


山峡好人(2006)

ショットが長い。
そして登場人物にカメラが寄らない。
少し離れたカメラ位置から、
中国の人々を俯瞰しているような移動撮影。
そこがアンゲロプロスの『旅芸人の記録』っぽい感じがするし、
映画としてのスタイルが、
どうしても溝口の『西鶴一代女』を彷彿させてしまう。

家出した妻を捜して、ダム建設中の長江を訪ねる男。
長江に行ったまま、一向に帰らない夫を探す女。
ダムが建設されている長江にへばりついている人々。
美しい長江の眺望と、開発のために壊される建物。

風景と人々が渾然一体となった映画というか、
ゆるやかな流れの中で、浮かんでくる澱みのようなもの。
その静かな迫力に圧倒される2時間である。

ジャ・ジャンクーの映画はいつも歌が流れる。
この映画でも、子供が唐突に歌い出す場面があり、
その哀切な感じは、この監督ならではのものである。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オトナとはそういう意味ではなかったのに

2007年10月11日 | 日々、徒然に
五反田で取材。
4人ほどの方々に話をうかがう。
そこで久しぶりに聞いた言葉がある。

失敗は成功のもと。

そうかそうか。忘れていた。
こういう言葉があったんだなと。
子供の頃、よく先生に言われた気がする。

オトナになると、失敗が怖くなる。
失敗する自分が恥ずかしいからだ。
だから臆病になっていく。
石橋をたたいて渡って
安全と安心を確保した気になる。

失敗は成功のもと。

この言葉の意味を
もう一度思い出してみようと思った木曜日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネズミでもきっと大丈夫

2007年10月10日 | たまには音楽でも
スピッツの新譜『さざなみCD』を聴く。
これほど音楽性が変わらないバンドも珍しいし、
マンネリとは無縁で、
新鮮さあふれる楽曲が新譜のたびに見受けられる。
ソフトでキャッチーなイメージと異なり、
アルバムを聴くと、そういえばスピッツはロックバンドなんだ、
と痛感することしきりである。
歌詞は辛辣だし、演奏もハード。
草野マサムネの悩殺ボーカルにだまされてはいけない。



11「ネズミの進化」が好きだ。

言い訳するだけ悲しくて
涙しょっぱくても
いつか 目覚めたネズミになる

しょっぱい、って言葉が心に滲みる。
このネズミは、自分だ、
と思う人はきっと、多いはずだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内臓疲労と不味いモノ

2007年10月09日 | 日々、徒然に
今日は某テレビ局で打ち合わせ。
そのあとM社に行き、懸案事項について
いろいろと話し合う。

三連休明けということで、
周りはなんだか本調子ではない様子。
こちとら三連休は仕事してたから、
体は動きますぜ、と心の中で思う。
確かに体は動くけど、その分疲労が溜まっている。
どうも内臓疲労があるらしく、
背中にも違和感が。
不味いモノに手を出さないように
やり過ごしたいものだが。
あと鍼に行きたいな、また。
明日行けないかなー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やさぐれケロヨン

2007年10月08日 | やさぐれ男のつぶやき
ここで一句。

やさぐれて 今日も仕事だ 秋の雨

秋の長雨というやつか。
しとしと降る雨の音を聞きながら、
原稿を書いたり、Webサイトの構成を考えたりする。
ひと段落して、仕事場をあとにする。
雨はまだ、やまない。

駅に向かう下り坂の途中に薬局があるのだが、
そこの軒先に、ケロヨンがいる。



ケロヨンの体の色というのは、
もう少し鮮やかなグリーンではなかったか。
このケロヨンは、ずっと薬局の外に放置され、
長年の雨に打たれ、それはそれはやさぐれた状態になっているのだ。

薬局で見る、もうひとつのキャラクターをご存知だろうか。
そう、サトちゃんである。
実はサトちゃんもこの薬局にいるのだが、
ケロヨンと違って店の中に鎮座し、
つやつやとしたオレンジ色のボディを
これでもかと主張しているのだった。

かたや雨風にさらされ、やさぐれたケロヨン。
そして冷暖房完備の室内で、ぬくぬくと過ごすサトちゃん。

僕がどちらにシンパシーを感じたか。
それは言うまでもないだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福と不幸、そして放浪

2007年10月08日 | 映画など
ライ・クーダーの『パリ、テキサス』を久々に
聞きながら原稿を書こうとしたら、
思わず聞き入ってしまい、手がつかなくなってしまった。


Paris, Texas (1984)より。「振り返り女優ナンバーワン」のナスターシャ・キンスキーです。

このサウンドトラックには、
主役のハリー・ディーン・スタントンの
長台詞が収録されている。
ピーピングルームで
働いている妻(ナスターシャ・キンスキー)を探し出し、
マジックミラー越しに、
心情を訥々と語るハリー・ディーン・スタントン。

以前この映画を見たときは、
なんであんなにキレイな奥さんと可愛い息子がいるのに、
この父親は逃げ出してしまったのか。
その気持ちがわからなかった。

幸せがこわかったのか。
人間というものは、
幸福と不幸のバランスを取りたがるのかもしれない。

それとも放浪の誘惑に負けたのか。
人間というものは、
幸福と引きかえに、どこにも所属しなくても済む自由を
手にいれることができるのかもしれない。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その答えは風の中

2007年10月07日 | 邪悪なT君
「貧乏暇なし状態」が久しい今日この頃。
三連休のど真ん中というのに、仕事場では
O君もY嬢も、そして邪悪なT君も仕事をしていた。
ただ、みんなが僕と同じように
「貧乏」で「暇なし」というわけではない。

邪悪なT君が、
安くて不味いモノを喜んで喰うのは
完全なる趣味なのである。
貧乏だからではないと思う。

しかしながら、僕は厳しい財政状況なので、
影でコソコソとカップ焼きそばにお湯を入れるのだった。
O君がそんな僕の姿を見て、
「そんなモン喰ってると、邪悪なT君に笑われますよ」
と警告するのだった。しかし、もうお湯を入れてしまったのだ。
仕方ないではないか。邪悪なT君に笑われても致し方ない。
今はこの屈辱に耐えるしか、ない。
いつか僕にも風が(どんな?)吹いてくることを信じて、
カップ焼きそばをひたすら喰うのだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする