筑紫哲也さんの訃報が。
ガンだということをカミングアウトしていたので、
来るべきときが来た、という感じだった。
筑紫さんのファンだった。
80年代に「日曜夕刊こちらデスク」という
硬派な報道番組のキャスターをやっていた。
原発で働く人たちをスタジオに招いて、
劣悪な労働環境を告発する回が印象的だった。
また「朝日ジャーナル」をリニューアルし、
「若者たちの神々」という連載をおこない、
村上春樹や鈴木邦男、浅田彰といった人たちを取り上げたのが、
ものすごく新鮮だったことを覚えている。
あと「月刊プレイボーイ」で山口百恵のロングインタビューを
おこなったのも筑紫さんだった。
インタビュー記事ってものすごく面白い、と思った。
通っていた大学に筑紫さんが講演に来たことがあり、
そのときに、著書にサインをもらったのがいい思い出だ。
ジャーナリストという職業に憧れを抱いたのも
筑紫さんの活躍がきっかけだった。
時は流れ、「NEWS 23」で筑紫さんが
この世を憂いているのを見たりするようになった。
そんな毎日がずっと続くような気がしていた。
しかし、何でも終わりというものがあるんだなと。
筑紫さんはすごく充実した人生を送ったのではないかと想像する。
しかしそれだけ激務で大変な日々だったとも想像する。
おつかれさまでした。
ご冥福をお祈りします。
ガンだということをカミングアウトしていたので、
来るべきときが来た、という感じだった。
筑紫さんのファンだった。
80年代に「日曜夕刊こちらデスク」という
硬派な報道番組のキャスターをやっていた。
原発で働く人たちをスタジオに招いて、
劣悪な労働環境を告発する回が印象的だった。
また「朝日ジャーナル」をリニューアルし、
「若者たちの神々」という連載をおこない、
村上春樹や鈴木邦男、浅田彰といった人たちを取り上げたのが、
ものすごく新鮮だったことを覚えている。
あと「月刊プレイボーイ」で山口百恵のロングインタビューを
おこなったのも筑紫さんだった。
インタビュー記事ってものすごく面白い、と思った。
通っていた大学に筑紫さんが講演に来たことがあり、
そのときに、著書にサインをもらったのがいい思い出だ。
ジャーナリストという職業に憧れを抱いたのも
筑紫さんの活躍がきっかけだった。
時は流れ、「NEWS 23」で筑紫さんが
この世を憂いているのを見たりするようになった。
そんな毎日がずっと続くような気がしていた。
しかし、何でも終わりというものがあるんだなと。
筑紫さんはすごく充実した人生を送ったのではないかと想像する。
しかしそれだけ激務で大変な日々だったとも想像する。
おつかれさまでした。
ご冥福をお祈りします。
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