Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

ぐちゃぐちゃのなかのこころざし

2018年05月12日 | 日々、徒然に

マシュー・ハイネマン監督

「ラッカは静かに虐殺されている」を見る。

IS(イスラム国)に制圧された

シリアの都市・ラッカにおいて、スマホを片手に、

ISの暴虐を世界中に発信し続けている

市民ジャーナリストたちがいる。

死と隣り合わせの状況のなか、

懸命に発信を続ける彼らを追ったドキュメンタリー。

 

 

そもそも、シリアはぐっちゃぐちゃである。

アラブの春の勢いを得て、アサド独裁政権に異を唱えた

反政府勢力を弾圧したのが始まり。

そこにISが入り込んできて、新しい国家を築くと言いつつ、

やってることは、極端なイスラム原理主義にもどづいた

市民に対する徹底的な搾取と思想統制、そして弾圧に次ぐ弾圧。

 

そんなひどい状況を世界に訴えるには、

ちゃんとした志のある、メディアの発信者がいなければならない。

いつ殺されるかわからない状況で、

スマホで隠し撮りした映像をひそかに国外のメンバーに送り、

即座にネットに流すなんて、なぜそんなことができるのだろう。

それはひとえにメディアの送り手としての技術が

しっかりしているからだろうし、

使命感というか、矜持のようなものもあるのだろう。

 

現在、ISは壊滅し、

ラッカは解放されたと報じられているけれど、

「ISを滅ぼすのが目的ではなく、

 ISがもたらしたイデオロギーを滅ぼすことが必要だ」

というメンバーの言葉が重くのしかかる。

 

彼らは身元がバレているので、

国外にいようとも安全ではない。

いつ襲われるかの恐怖に苛まれる場面もあったりして、

そんな彼らの姿を見ていると、

映画館の座席に身を沈め、安全安心な場所で

「大変だなあ。すごい勇気があるなあ。立派だなあ」

と思えば思うほど、映画に映し出されるジャーナリストたちと、

観客である自分の違いはどこにあるのか。

そこから考えるべきなんだろう。

 

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