旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

裏磐梯・五色沼の旅(4)--遠藤現夢の墓と碑

2008-06-25 13:06:12 | 

 

  裏磐梯高原は磐梯山の噴火により生じ、そこに榛(はん)の木などの自然林が自生して出来た、と書いた。しかし、すべてが自然のままに委ねられ、現在の美しく豊かな裏磐梯高原が生まれたわけではない。そこには、当然のことながら、先人たちの心血を注いだ努力の歴史も、また見ることが出来る。
 
裏磐梯国立公園の開祖といわれる遠藤現夢こと遠藤十次郎も、その先人の一人である。
 
この遠藤現夢の墓と碑が、五色沼自然探勝路の途中にある。途中と言っても、柳沼と青沼の間の、コースから350メートル左の山中に入ったところであるから、標識を見落とすこともあるだろうし、また往復700メートルの時間を惜しんで、訪ねない人も多いようだ。何といっても、華やかな五色の沼とは縁遠いほど、鬱蒼とした山中にひっそりとあるので、ルンルン気分には合わないかもしれない。私たちは、義兄の案内で当然のこととして訪ねた。
 
そこには、噴火岩と見られる巨大な岩石の洞に現夢の墓があり、その前の広場に功績を称える碑が立っていた。その碑には、

 現夢が、「資性剛直、物欲括淡、国家に奉ずる念篤き」人物であったこと「大噴火で荒廃した地に立ち、一念発起し数々の苦難を克服、先頭に立ちて鍬を執りて植林し、道路を開発し将来の大森林公園を期し、心血と私財を傾けた」こと

などが書かれてある。周囲は松ノ木に囲まれていたが、赤松の植林に力を注ぎ、五色沼の美しいコースの基礎を築いてくれたのであろう。
 
墓の右奥には「ながきよにみじかきいのち五十年ふんかおもえば夢の世の中」という、現夢の歌碑もあった。

 雄大な自然美とともに、先人たちによる並々ならぬ努力が、私たちに「心を癒す場所」を残してくれているのである。
                            


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1 コメント

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裏磐梯五色沼4 (TN)
2008-06-26 21:10:55
日本の場合、上高地、清里、那須にしても外国人が
その素晴らしさを見いだし発展のためのきっかけを築き努力されたのいうのが多い。清里でのウォーキング
で聞いた話しによれば、その外国人が昭和天皇擁護の
必要性を米国に強く主張したから戦犯にならなかった
という。と、ともに、清里では開拓者として安池興男
という人が恩人として地元の人々から感謝されている
ようです。裏磐梯の場合、そういう人の努力に感謝し
て、観光客の皆さんにも知ってもらうように努力され
たほうがいいのかなと思いました。
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