旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「ヴェルディの美しさに酔う」(補足)

2008-06-22 14:29:47 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨日の掲題ブログに対し、TNさんからコメントをいただいた。それにお答えする傍ら、ベルディの音楽について書き足りなかった点を補足する。

 私が「日本には、国民が一つの目標に向かって一体となって歌える歌がない。『君が代』は断じてそのような歌ではない」と書いたところ、TNさんから「何かに向かって一体となって歌う」なんて戦時中の軍歌を想起してイヤだ、と書いてきた。
 全くそのとおりで、「国民が一体となって歌う歌」で、軍歌しか思い浮かばないところに、日本の音楽の貧しさを感じていたところだ。しかもあの軍歌は、国民すべてが「一体となって歌った」とは思えない。かなりの国民が洗脳されてはいたが、それでも、心から歌って戦場に赴いたとは思えない。
 アメリカには「星条旗」があり、フランスには「ラ・マルセイエーズ」がある。確かにその背景には、前者は1812年の米英戦争があり、後者にはフランス革命があって、ともに血マナ臭さを伴う。しかし新しい国つくり、建国の精神が国民、特に民衆の中にあったので、いつまでも歌われ、ついに国歌となったのであろう。
 TNさんの言うように、日本は植民地支配をされたこともなく、平和できたので、そのような歌も生まれなかったのかもしれない。確かに、「一つの目標に向かって一体となって歌う」なんて、何か息苦しく、そんなこともないのが一番の平穏かもしれない。

 イタリア人がヴェルディを愛するのは何か? 昨日書いたように、これも祖国統一戦争のなかで、想いをヴェルディの音楽が満たしてくれた背景があり、血マナ臭さと無縁ではないが、何と言っても「ヴェルディの美しさ」が根底にあると思う。そこに息苦しさはないようだ。
 娘は、「ヴェルディの音楽には美しさとともに人間臭さがある。そこがモーツアルトと違うところだ」と言う。
 なるほど、モーツアルトの曲は美しすぎて国歌にはなりにくいかもしれない。しかしヴェルディの「ナブッコの合唱」は、イタリア人が国歌のように慕い、歌い続けているのである。
 それにしても、この合唱は美しい。
                            

 


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1 コメント

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ヴェルディ (TN)
2008-06-23 22:43:18
つまらないコメントに補足説明をつけていただき感すみません。ヴェルディの「ナブッコの合唱」はCDをそのうちに手に入れ聴いてみたいと思います。なにせ私は学校と称するものに入って以来、音楽のテストには苦労して、音楽そのものが嫌いになったようなところもあります。音声痴、音高痴であることと、音楽の好き嫌いとはまた別問題だと思うのですが、特に言語を伴わないものは何を表現しようとしているのか、さっぱりわからず、自分自身に対して、困ったものだと思っています。でも「ラジオ深夜便」でときたま聴く
曲には、これはいい曲だなと思うこともあります。
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