桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

気骨

2012-01-18 | Weblog
今の時代、なかなか気骨を持った人を見ることは少ないが、今朝のテレビでは、気骨を感じる発言を知った。
芥川賞を受賞した田中慎弥氏の発言だが、これまでに4回のノミネートを総て逃して今回の受賞になったそうで、更に選考委員の石原慎太郎から受賞作を酷評された経過があったことに対する皮肉を込めた発言だったらしい。
4回も落とされたから断ってやるのが礼儀だが、断って気の小さな選考委員が倒れでもしたらば都政に混乱をきたすので都民のために貰ってやる、と言ったのだ。
この文脈を見れば誰が気の小さな選考委員かは判るだろうが、気の小さいとは良く言ったもので、確かに石原慎太郎の横柄な言動は、気の小ささゆえに生まれるものかも知れないと思えて、流石に芥川賞作家は観察眼が鋭いと関心したし、何時もながらに「馬鹿」とかのこ汚い言葉を使った作者批判に対して、最高の反撃だったと楽しかった。
今日の新聞では、気の小さな選考委員が倒れて都政に混乱をきたすと、暗に石原慎太郎を示す部分を書かないマスコミもあったが、マスコミも的確には批判しない権勢の都知事に対して、ここまで会見で言い放った田中氏に、俺は気骨を感じて嬉しい朝だった。

東京経済大学

2012-01-18 | Weblog
今日は大学での話だった。昨日は70名だったが、今日は300名。でも、静かに良く話を聞いてくれた。今日は柴田弁護士と二人だったので、柴田先生の質問に答える形で進んだが、一人とは違い、充分に話したいことを伝えられなかった感じだ。
今日も、最後は質問で終わったが、昨日と同じように活発な質問が続いて、学生たちが真面目に聞いてくれたのが判って嬉しかった。

何があっても

2012-01-18 | Weblog
生きていれば、そう楽なことばかりはない。嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、沢山ある。でも、どんな苦悩に出会っても、ただ苦悩ばかりがあるものでもない。どんな出来事があっても、それは一面的ではないのだ。
俺は、沢山の冤罪者と付き合っているが、無実の罪という耐え難い苦しみを体験しても、そこには喜びがあると知る俺は、悪いことばかりはないし、毎日を頑張れば良いことがあると励ます。冤罪の苦しみには、それを助けてくれる善意の人があって、その無条件に信じられる人たちの誠に触れられることが、まず人として喜びを味わえる。
この世に生きて無条件に信じられる人たちが自分の周りにいることは、何よりの幸せだと思っているが、それが判らない冤罪者もいる。
人様から頂いた支援を忘れて、ひたすらに自分の味わった苦痛しか感じない冤罪者の言葉は、本当に悲しい。自分の受ける苦には敏感で、自分の与える苦には鈍感な人間がいて、実にお気楽に生きているのを知っているが、ただただ冤罪を苦しみだと語り、失った痛みしかなかったと訴える言葉を聞いて、体験の一面しか感じられないらしい仲間の明日は、どんなことがあるのかと気が重くなった。
冤罪は大変だが、決して百%の苦痛ではない。そこにあるはずの1%でも2%でもの喜びや幸せを感じられれば、生き方も人生も変わるだろうに、判らない人には判らないのかも知れない。