桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

現実

2012-01-05 | Weblog
俺の住む水戸には、近くに東海村があって、そこには日本で最初に原子力の火を点した原発がある。
俺も小学生のころに東海村へ行って、蒼白い原発の火を見た記憶がある。
今月は東海村選挙があるが、なかなか大変らしい。原発に勤める人も多いことから、簡単に廃止を言うな、生活はどうなる、と抗議されることもあるらしい。
確かに、そこで生活する者にとっては生活基盤を失う訳だから深刻だろうが、でも生活と命と、どちらが大事かという議論が原発問題だ。先ずは命を優先した廃止を決めて、その上に生活基盤を作る考えを進めるしかないはずだ。
このように生活はどうしてくれる!と主張する声が上がる原因は、福島原発が起こした事故の事実が語られないところにある。
全く原発事故は解決していないのに、さも落ち着いたかのような「冷温停止状態」なる政府の宣言。社会を騙し、世界を欺く大嘘だ。そんな嘘に謀られた人は、大きな事故と言われたのに簡単に収まるならば原発は大丈夫だと錯覚し、新たな安全神話を自ら築いて原発維持で生活を守れると思うのだろう。しかし、それは完全な錯覚だし、全く根拠のない安全神話の再構築でしかない。
更に、今度の事故による被害状況が正しく知らされていないことも原因だろう。
大量の放射能が撒き散らされた福島県の一部は、どう考えても人は戻れようがない。今後、百年単位で人の住めない土地になってしまったのに、まだ洗浄すれば住めるかのように語られている。
我々世代ならば、それは居住しても命の明日に、さしたる差異は生まれまいが、人類の明日を背負う世代には、絶対に住めない土地になってしまったのだ。
この悲しい現実を知らない人々は、今でも原発を頼り、生活基盤と考えるのだろうが、我々は無知は罪だと知らなければなるまい。早くに福島原発の今を見抜き、警鐘を鳴らして来た人々がいることを思えば、知らない善人であることは許されないのだ。知らずに盲信した結果が、あの福島原発の現状なのだから。
一度事故を起こせば、二度と人が住めない土地を作る原発が存在して良いものか、自ずと答えは出るだろう。
水戸市は東海村原発から30キロ圏内にある。

北松戸

2012-01-05 | Weblog
昨夜は北松戸に泊まった。俺が北松戸に泊まると言ったらば、それは有り難いと言った。連れ合いには連れ合いの用事があるし、一緒にいて俺の面倒を見るのは、それなりに大変だろうから、たまには北松戸に泊まるのも良いみたいだ。
北松戸に来たらば、こちらにも数枚の年賀状が届いていた。ここを知る人は、そう多くはないはずだが、ここも俺の生活拠点になっていると感じた年賀状だった。