今日の朝刊に、JR九州が幻の客車をつくるという記事がありました。
九州鉄道が1906年にアメリカに発注した展望客車を作るようです。
実物を模型化するのは当たり前ですが、今回は資料も少なく、原鉄道模型博物館の模型を参考に実車化という、全く逆なパターンのようです。
観光列車として走らせるようですが、最近のJR九州はこういった物が好きなようで、次々と繰り出してきますね。
観光誘致もいいけど、本業が疎かにならないよう足元をしっかり見ていて欲しいとも思います。
九州鉄道が1906年にアメリカに発注した展望客車を作るようです。
実物を模型化するのは当たり前ですが、今回は資料も少なく、原鉄道模型博物館の模型を参考に実車化という、全く逆なパターンのようです。
観光列車として走らせるようですが、最近のJR九州はこういった物が好きなようで、次々と繰り出してきますね。
観光誘致もいいけど、本業が疎かにならないよう足元をしっかり見ていて欲しいとも思います。
このように、ファン、というより、まさにマニアの最高峰にあった原さんですから、「本線」の模型のコレクションは半端ではありません。が、ご本人もエンジニアであると同時に、模型スクラッチビルダーではありますが、多くは自作されたものではなく、内外のプロモデラーに製作を依頼されたもので、この客車もそうだと思われます。その方々を著書でも(私の)「工場長」と表現されています。新聞などのメディアやご自身の著書に於いて「(原さんが)作った」と書かれてしまうと、ちょっと違和感を感じてしまいますが、切符の入手なども、あのような手法(剛腕)を用いて達成なさったわけですから、これくらいの偉業を成し遂げるには当然のことなのだろうとも思えます。それは私のようにチマチマ模型いぢりをしている、貧乏モデラーの認識の及ぶところではありません。ちなみに私は、数回、神田の老舗でお目にかかっています。ある時には「ねぇ、戦前の部品、無い?」などと言いながらお店に入ってこられて、「さすがに・・・」と現社長が苦笑される場面もありましたし、模型談議に花を咲かせていたこともありましたっけ。夢を追い続け、確実に「モノ」にされていった、行動力に最大限の敬意を表したいと思います。合掌。
コレクション王とも言うべき人ですが、お金があれば自分だってと思う方は多いでしょうが、あればあったで違うことに走ってしまうことも多いかと思います。
そうした中、一途に模型や鉄道に傾倒していけるというのは、敬服してしまいます。
長野のトレインギャラリーのオーナーも、コレクション数は半端ないし、廃車も複数所有していますから、世の中に突出した御仁が多いんだなと実感します。
お金がないなら、無いなりの趣味をすればいいのですから、生涯を振り返って自分が満足できていればそれで趣味の達成と言えるでしょう。
当時の色といっても、写真の精度も悪く本当の色というのは色見本がない限り、かなり怪しい憶測になってしまいます。
一口に青といっても、多くの色彩が存在しますから、実車はどれを基本にするんでしょうかね。
それとも、デザイナー好みのものになってしまうのかな。
JR九州にはアクの強い専属デザイナーがいますからね。