スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本発祥倉茂記念杯&唯一性の前提

2021-01-17 19:14:46 | 競輪
 大宮記念の決勝。並びは鈴木‐河野の関東,森田‐平原の埼玉に佐藤,岩本‐東の南関東,清水‐合志の西国。
 平原がスタートを取って森田の前受け。4番手に清水,6番手に岩本,8番手に鈴木で周回。打鐘前のバックまで動きはなく,ここから鈴木が動いていき,最後まで誘導を使った森田を叩いて打鐘。さらに外から岩本が動き,鈴木を叩くと,引いた森田が発進。ホームで岩本を叩いて先行。鈴木がうまく4番手に続きました。バックに入って清水が発進。平原の横まで接近すると,平原がそれに合わせて番手から発進。清水は完全に合わされて失速。そのまま平原が直線でも粘って優勝。マークの佐藤が半車輪差の2着でこのラインのワンツー。行ききれなかった清水の後ろから佐藤にスイッチしようとした合志の内から鈴木が進出。この競り合いを制した鈴木が1車身差で3着。大外を伸びた河野が半車身差の4着で競り負けた合志が半車身差の5着。
                                        
 優勝した埼玉の平原康多選手は立川記念からの連続優勝で記念競輪26勝目。2008年,2010年,2011年,2013年,2015年,2017年,2020年に続く連覇で大宮記念は8勝目。ここは森田の番手でしたから,森田がきちんと先行すれば優位でしたし,ほかに先行しそうな選手もいませんでした。前を取ってすぐに引いて巻き返すというのも作戦としてよかったのでしょう。3着でしたが,一旦は森田を阻む構えをみせ,佐藤の後ろに続いた鈴木の走行も巧みだったと思います。

 複数の属性attributumが単一の実体substantiaの本性essentiaを構成するということ,他面からいえば,実体が属性によって分割することができないということは,存在する実体が唯一であるということを論理的に可能にします。
 どれだけの属性があるのかは別として,少なくともスピノザがいっている通り,思惟Cogitatioと延長Extensioというふたつの属性は存在します。あるいは人間はふたつの属性を認識します。デカルトはこのとき,思惟的実体と物体的実体substantia corporeaを別の実体と規定します。このことは,必ずしも実体が属性によって分割することができないということを直ちに帰結させるわけではありません。しかしもしも実体を属性によって分割することが不可能であるというなら,思惟と延長というふたつの属性が存在する以上,少なくともふたつの実体が必要であることが帰結します。したがってここからは実体は唯一であるということを論理的に帰結させることができません。もし実体が唯一であるといいたいのであれば,この場合には思惟の属性Cogitationis attributumと延長の属性Extensionis attributumのふたつの属性によって本性を構成される単一の実体があると規定しなければなりません。よって,実体が唯一であるということを論理的に可能にするためには,実体は属性によっては分割することができないという規定が必要になるのです。
 スピノザは第一部定理一四および第一部定理一四系一で,自然Naturaのうちに存在する実体は神Deusが唯一であるといっています。そしてガリレイGalileo Galileiは,1が唯一の無限数であるといっているのでした。この1は,形而上学的にいえば実体としての1です。したがって,この実体はその属性によっては分割することが不可能なのでなければなりません。実際にガリレイは,1しか有さないような性質を3つあげて,それらを1が唯一の無限数である根拠としているのでした。これら3つの性質は,実体としての1の属性とみなすことができます。すなわちガリレイはそういうことには関心を抱いていなかったでしょうが,それを形而上学的観点から解するなら,ガリレイが規定する実体は,その属性によっては分割することが不可能であるということになるのです。だからスピノザもガリレイも,実体は唯一だということができるのです。

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