Kが先生を尾行していたという僕の読解は,Kの動揺が,自分の恋を応援してくれていると思っていた先生にそれを否定されたことによるものだという読解に対して,有利に作用すると僕は考えています。ただそのためには,なぜKが,先生はKの恋を応援していると勘違いしたかの理由が必要です。『『こころ』の真相』においてそれがどう説明されているかを示しておきましょう。
下三十五でKは例の襖を開けて自分の静に対する恋心を先生に告白しました。柳澤によれば,Kにとっては先生に告白すれば十分だったのであり,それ以上は先に進むつもりはなかったのです。というより,こういう場合に自身のその心情にどう対処すればよいかがKには分かっていなかったというのが読解としてはいいと思います。おそらくこの種の心情が芽生えたのは,Kにとってこのときが初めてであったと思われるからです。
しかし先生にとってはそうではありません。Kが明確に恋のライバルとして意識されることになりました。なので先生は下三十九でKにふたつのことを確かめます。ひとつは告白が自分に対してだけか,それとも奥さんや静に対してもなされたかです。これに対してはKは先生に対する告白のみだと答えます。もうひとつは,その恋をどう取り扱うのかということです。つまり先生に対する告白だけなのか,それとも実際の効果を収める気なのかということです。これに対してはKは何も答えません。
Kが答えなかったのは,おそらくどう対処するべきかがK自身にも分かっていなかった,あるいはそのためにどうするかを考えもしなかったからです。しかしKは先生にこのように質問されることによって,どうも恋心を静にも告白し,恋を実際に成就させるべきだと先生は示唆していると解したというのが柳澤の読解です。これは,Kがどうすればよいか分からなかったのである限り合理的な解釈で,実際にKはどうすればよいか分からなかったという読解に無理はありません。
先生は自分の恋のためにKに問い質しました。ですがKはそれを自分に対する後押しであると誤解してしまったのです。
第四部定理四五系一でスピノザがあげている感情affectusに,憤慨indignatioは含まれていません。ただ,第三部諸感情の定義二〇により憤慨は憎しみodiumの一種であり,第四部定理四五系一で悪malumであるとされている感情は,憎しみに属する感情と憎しみから発生する感情です。憤慨はこのうち憎しみに属する感情ですから,悪であるといわれている諸感情のうちに含まれていることは明白です。なお,ここで善bonumではあり得ないといわれずに悪であるといわれているのは,第四部定理四五備考を踏まえてであるということはすでに注意した通りです。
スピノザが実際に言及している感情に関していえば,ねたみinvidiaは第三部諸感情の定義二三にあるように憎しみの一種ですから憎しみに属する感情です。嘲弄は喜びlaetitiaの一種ですが,憎しみから発生する喜びです。軽蔑は感情ではなく表象imaginatioのありようのことなので,ここに含めていいか疑問も生じ得るのですが,この表象は第三部定理一三系で示される表象のありようと関連しないともいえません。少なくともある種の軽蔑が憎しみに属する表象であることは疑い得ません。この表象によって喜びを感じるとき,それがひとつ前の嘲弄という喜びになります。怒りは第三部定理四〇の様式を通して生じる欲望cupiditasで,憎しみから発生する感情です。そして復讐はもっと複雑ですが同じように第三部定理四〇の様式から発生する欲望で,同様に憎しみから発生する感情です。これらについてはいずれ別稿で詳しく紹介しましょう。
憎しみに属する感情,あるいは憎しみから発生する感情はこれらがすべてではありません。スピノザはここではこれらを代表的なものとして示したのであり,その他の感情が含まれないというものではありません。ですから憤慨が悪であるとスピノザが主張しているという解釈は誤りではありません。これが第四部定理四五系二へと続いていくのです。
「我々が憎しみに刺激される結果として欲求するすべてのことは非礼であり,また国家においては不正義である」。
まずこの系Corollariumから理解できるのは,スピノザは非礼ということはごく一般的にいうけれども,不正義injustitiaということは国家Civitasあるいは社会において用いるということです。
下三十五でKは例の襖を開けて自分の静に対する恋心を先生に告白しました。柳澤によれば,Kにとっては先生に告白すれば十分だったのであり,それ以上は先に進むつもりはなかったのです。というより,こういう場合に自身のその心情にどう対処すればよいかがKには分かっていなかったというのが読解としてはいいと思います。おそらくこの種の心情が芽生えたのは,Kにとってこのときが初めてであったと思われるからです。
しかし先生にとってはそうではありません。Kが明確に恋のライバルとして意識されることになりました。なので先生は下三十九でKにふたつのことを確かめます。ひとつは告白が自分に対してだけか,それとも奥さんや静に対してもなされたかです。これに対してはKは先生に対する告白のみだと答えます。もうひとつは,その恋をどう取り扱うのかということです。つまり先生に対する告白だけなのか,それとも実際の効果を収める気なのかということです。これに対してはKは何も答えません。
Kが答えなかったのは,おそらくどう対処するべきかがK自身にも分かっていなかった,あるいはそのためにどうするかを考えもしなかったからです。しかしKは先生にこのように質問されることによって,どうも恋心を静にも告白し,恋を実際に成就させるべきだと先生は示唆していると解したというのが柳澤の読解です。これは,Kがどうすればよいか分からなかったのである限り合理的な解釈で,実際にKはどうすればよいか分からなかったという読解に無理はありません。
先生は自分の恋のためにKに問い質しました。ですがKはそれを自分に対する後押しであると誤解してしまったのです。
第四部定理四五系一でスピノザがあげている感情affectusに,憤慨indignatioは含まれていません。ただ,第三部諸感情の定義二〇により憤慨は憎しみodiumの一種であり,第四部定理四五系一で悪malumであるとされている感情は,憎しみに属する感情と憎しみから発生する感情です。憤慨はこのうち憎しみに属する感情ですから,悪であるといわれている諸感情のうちに含まれていることは明白です。なお,ここで善bonumではあり得ないといわれずに悪であるといわれているのは,第四部定理四五備考を踏まえてであるということはすでに注意した通りです。
スピノザが実際に言及している感情に関していえば,ねたみinvidiaは第三部諸感情の定義二三にあるように憎しみの一種ですから憎しみに属する感情です。嘲弄は喜びlaetitiaの一種ですが,憎しみから発生する喜びです。軽蔑は感情ではなく表象imaginatioのありようのことなので,ここに含めていいか疑問も生じ得るのですが,この表象は第三部定理一三系で示される表象のありようと関連しないともいえません。少なくともある種の軽蔑が憎しみに属する表象であることは疑い得ません。この表象によって喜びを感じるとき,それがひとつ前の嘲弄という喜びになります。怒りは第三部定理四〇の様式を通して生じる欲望cupiditasで,憎しみから発生する感情です。そして復讐はもっと複雑ですが同じように第三部定理四〇の様式から発生する欲望で,同様に憎しみから発生する感情です。これらについてはいずれ別稿で詳しく紹介しましょう。
憎しみに属する感情,あるいは憎しみから発生する感情はこれらがすべてではありません。スピノザはここではこれらを代表的なものとして示したのであり,その他の感情が含まれないというものではありません。ですから憤慨が悪であるとスピノザが主張しているという解釈は誤りではありません。これが第四部定理四五系二へと続いていくのです。
「我々が憎しみに刺激される結果として欲求するすべてのことは非礼であり,また国家においては不正義である」。
まずこの系Corollariumから理解できるのは,スピノザは非礼ということはごく一般的にいうけれども,不正義injustitiaということは国家Civitasあるいは社会において用いるということです。
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