スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&第四部定理三七備考一

2023-09-17 19:03:52 | 将棋
 金沢で指された昨日の第3期白玲戦七番勝負第三局。
 西山朋佳女流三冠の先手で三間飛車。先手がやや挑発的にもみえる駒組を目指したので,後手の里見香奈白玲が三間飛車に振っての相振飛車となり,すぐに後手から仕掛けたので,双方が居玉のまま大決戦になりました。
                                        
 第1図で☖4六桂と打って攻め合いに出たため,☗4二角成☖同金に☗8二飛と打たれて一遍に先手の勝ち筋に入りました。
 第1図で☖7三歩と受けると先手は☗7六飛と逃げることになります。それでも先手がリードしている局面のようですが,すぐに先手が勝つような将棋とはなりませんでした。
 西山女流三冠が勝って2勝1敗。第四局は30日に指される予定です。

 そこまでの過程に相違がありますが,僕が河井による畠中の第二部定理三二の訳業に対する指摘に同意するということを前提として,河井が具体的にどのような指摘をしているかということをみていくことにします。
 第二部定理三二の,関係するという部分を示すラテン語の原型はreferreでした。このreferreという動詞は,『エチカ』のほかの部分でも使用されていると河井はいっていて,その一例として第三部定理五八をあげています。ここでもreferreは受動形で使用されていて,この部分は,我々に関係する,という形で訳されています。第三部定理五九備考の冒頭にもこの動詞が受動形で使われていて,この部分は精神に関係する諸感情affectibus, qui ad Mentem referunturというふうに訳されています。そのほか,第四部定理七の論証Demonstratioにおいてやはり受動形でこの動詞が用いられ,これは精神に関する限りという訳になっています。また第五部定理二〇備考の中でも受動形で使われ,ここは神に関係する感情という訳になっています。そして第五部定理三九備考ではこの動詞が多用されているのですが,これはいずれも関係すると訳されています。
 これでみれば河井はこの動詞を,関するとか関係するというように訳しているようにみえますが,実際には一ヵ所だけ例外があります。それは第四部定理三七備考一です。これはこの備考Scholiumの中の宗教心religioについて語られている部分です。
 「神を認識する限りにおける我々から起こるすべての欲望および行動を私は宗教心に帰する」。
 ここの部分ではreferoという形で用いられていますから,これはたぶん受動形ではないのでしょう。というか,文章自体が受動形としては解せませんから,これがラテン語の受動形でないということは間違いありません。よって,もしもreferreという動詞の活用形として,ほかの部分と相違が生じないように訳するのであれば,欲望cupiditasおよび行動を私は宗教心に関係させる,というようにするべきであったことになります。しかしこの訳は日本語としては理解し難いものとなるでしょう。この訳だと単に欲望と行動が宗教心と関係しているというだけであって,意図が理解できないからです。

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