スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援広島記念&戸塚

2011-12-19 18:52:30 | 競輪
 年内の記念競輪も残りはふたつ。昨日が広島記念の決勝でした。並びは木暮-戸辺の関東,小嶋-柴崎ー笠松の中部,脇本-三谷の近畿,佐々木-高原の四国。
 前受けは佐々木。3番手に小嶋,6番手に木暮,8番手から脇本の周回。最初に動いたのは木暮。これに小嶋が呼応。小嶋が佐々木を叩き,さらに木暮が小嶋を叩くと,打鐘を過ぎて脇本が木暮を叩いて先行。一列棒状からバックで小嶋が発進。木暮,三谷の横を通過し,さらに脇本も抜き去って先頭。笠松が離れて柴崎と直線勝負。直線入口で一旦は引き離すも再び詰め寄られましたが,何とか抑えきって小嶋の優勝。柴崎が2着で中部のワンツー。2車が千切って離された3着には木暮。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は9月の青森記念に続いて記念競輪31勝目。今年のベストナインの出走がありませんから力量は上位。後方に置かれれば苦しかったでしょうが,6番手を確保すればこのメンバーでは十分な位置だったようです。レースからも明らかなように脚力はまだありますから,今後もやはり位置取りがカギになってくるのではないでしょうか。勝ち上がりで失敗するケースも見受けられますが,GⅠを獲ってもおかしくないだけの力があると思います。

 僕がまだ中学生だった頃のことですから,今から25年以上前,は栄区内にある新興住宅地,新興住宅地といえば聞こえはいいですが横浜市内でいえば辺鄙な山奥といってもいいようなところにある中学校に勤務していたことがありました。実は現在の栄区というのは,今の泉区と同様に,戸塚区から分区してできた区です。父が勤めていた当時はあるいはまだ栄区というのはなく,戸塚区であったかもしれません。この中学校には僕も1度だけ行ったことがあるのですが,今はともかくその当時は本当に周囲には目立って大きな建物のないところでした。労働金庫の支店があった戸塚駅とはここもずいぶんと離れてはいたのですが,そうした当時の状況というのを想起してみれば,この中学校まで労働金庫の営業の職員が来ていたとしても,おかしくはなかったように思えます。実際に通帳で口座の開設された期日というのを調べ直してみましたら,確かに父がこの学校に勤めていた時期のものであるということが確かめられました。
 口座の開設の経緯がどうあれ,戸塚支店まで出向かなければならないということに変わりはありません。しかし戸塚,ここでは戸塚駅周辺のみを指して戸塚といいますが,これは僕の家から行くのにはやや厄介なところなのです。
 まず,僕の家から最短距離で戸塚へ行くということを考えてみれば,上大岡へ出て,上永谷から日限山を通り,舞岡を経由して行くというルートであると思われます。たぶん僕が散歩と称してこのルートをそのまま歩いたとしたら,上永谷から日限山にかけて上り下りがあることを考慮して,おそらくは2時間ほど掛かることになるでしょう。僕が歩く速度というのはほぼ一定ですので,12km前後だと思います。ただ,さすがに相続のためにこの距離を歩いていくということは時間的に考えてできません。一方,僕は運転ができませんから,バスや電車を使うということになります。
 前記の通過ルートのうち,上大岡,上永谷,舞岡というのは横浜市営地下鉄ブルーラインの駅があり,舞岡の次が戸塚です。したがってこの地下鉄を利用するのが単に距離だけを視野に入れた場合には最短のルートであっただろうと思います。

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