スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

火の鳥賞&経験論

2007-03-04 21:49:16 | 競輪
 熊本記念2日目優秀の火の鳥賞(動画)並びは予想と違い、甲越ということで志村選手に阿部選手が直付け。空いた武田選手に佐藤選手が付け、加藤選手がここを追走の4分戦でした。残り1周のホームで先行態勢に入ったのは武田選手。4番手でインの市田選手と併走になった志村選手がここから発進し、後方になった新田選手がこのラインの動きに乗る形に。関東両車の先行争いは、突っ張った武田選手が制してバックで志村選手は後退。ここからこのラインの上を満を持していた新田選手が捲り発進。このスピードがよく前段を捲りきりました。やや離され加減でしたがマークの村本選手も何とか追走。結局、新田選手が1着、村本選手が2着と静岡のワンツーが決まりました。3着は接戦で、武田選手の番手から静岡ラインに切り替えた佐藤選手が確保したように思ったのですが、写真判定の結果、市田選手にわずかに(微差)交わされていました。
 明日は女流名人戦五番勝負第三局。これは中国での対局です。

 第三部定理二の論理的な証明の結果、確かに人間の意志が自分自身の身体をある運動に決定することはできないということが明らかなのですが、もしかすると、経験的に反省してみた場合に、そんなことはないのではないかと思われる場合があるかもしれません。スピノザ哲学の立場では、それは勘違いで、この勘違いは次のように説明されます。人間身体は物体(延長の個物)ですので、第一部定理二八により、その存在と作用(運動)はほかの個物によって決定され、その個物は第二部定理六によりやはり人間身体と同じ物体であるということになります。ところが僕たちは大抵の場合は自分の行為(身体の運動)については意識しますが、その原因となっている物体については認識しません。一方、思惟の様態であるこの行為(運動)に関係する意志の方は明瞭に意識しますので、あたかもこの意志が自分自身の身体を動かした原因であるかのように錯覚してしまうのです。僕はこの定理二は、単に論理的に証明できるというだけでなく、経験的な観点からも確証できる、あるいは経験的な観点からこの論証の結果が正しいということを補足できると考えています。ただこれはやり出せば長くなりますし、ここでのテーマとはかけ離れていますので、いずれまた別のテーマとして扱うことを約束し、ここでは論理的に証明しておくにとどめます。いずれにせよ、エチカにおいて責任論について考察するときには、人間の意志が自分自身の行為の原因である、あるいはあり得るということを前提とすることはできないということはここで確認しておいてください。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダイシング&第三部定理二証明 | トップ | 女流名人戦&責任の一般論 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

競輪」カテゴリの最新記事