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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

「他人のため」の否定&有用性の意味

2008-01-31 18:56:07 | 哲学
 基本的に僕は人間は自分のために動いた方がよく,他人のために働くのはかえってよくないと考えています。これにはスピノザの哲学も関係しています。
   
 そもそも第三部定理五一が意味していることは,他人のために働くことが,相手にとってむしろ迷惑である場合があるということを含みます。小さな親切大きなお世話ということばはここからきているのであって,こうしたことが往々にして生じるということはだれもが経験的に知っていることでしょう。しかしこれは大した問題ではありません。
 本当の問題はこの先にあります。好意をもって他人に親切をなす人は,大抵の場合,その親切が感謝をもって受け入れられるものと前提します。しかし第三部定理五一により,そうでない場合もあるわけです。するとどうなるか。これを示しているのが第三部定理四二です。「愛に基づいて,あるいは名誉を期待して,ある人に親切をなした人は,その親切が感謝をもって受け取られないことを見るなら悲しみを感ずるであろう」。そしてこの悲しみは容易にこの相手の観念と結合します。いい換えれば第三部諸感情の定義七により,その相手への憎しみへと転化するのです。
 さて,このとき相手は,自分が親切を受けたと思っていないですから,このように憎まれる原因を判然と理解できないでしょう。そこで「自分が他人から憎まれていると表象し,しかも自分は憎まれる何の原因もその人に与えなかったと信ずる者は,その人を憎み返すであろう」という第四部定理四〇により,好意から親切をなしたその人を憎み返すでしょう。かくして他人のためを思って働くそのことによって,かえって憎しみの連鎖が発生します。人間関係だけに限らず,たとえば国際関係などにおいても,このようなことが現実的に生じているということは,少し考えればよく理解できるのではないかと思います。
 このようなわけで,僕は人は自分のために行動する方がむしろよいと考えるのです。「○○のためにしたことだったのに…」というのは,僕が最もきらいなことばのひとつ。もしも他人のために働こうと思うのであれば,その行為は相手に受け入れられないのが当然であるという前提から始めるべきなのではないかと思うのです。

 憐憫の有用性というのを,僕は感情の模倣の有用性という観点から考えています。そこでこの観点からひとつ,注意してほしいことがあります。
 一般的な意味においては,憐憫という感情は,よい感情と思われているのであって,悪い感情であると考えられているわけではありません。スピノザ自身,第四部定理五〇の備考においては「理性によっても憐憫によっても他人を援助するように動かされない者は間と呼ばれてしかるべきである」といっていて,そのように考えているふしを窺わせます。しかし僕はあくまでも,感情の模倣が一般的な意味で有用であるといっているのであって,感情の模倣に類する感情であればどんな感情であってもそれは有用であると考えています。そこでそうしたほかの感情の模倣と憐憫との間には,何らの差異を設けるつもりはありません。いい換えれば,憐憫という感情が他人を援助するように人を動かすから有用であるといいたいわけではないのです。
 第三部定理五七が意味していることを逆に考えれば,もしもある個人の感情と別の個人の感情とが,完全に一致するならば,この両者の本性は完全に一致するでしょう。もちろん現実的にはそんなことはあり得ません。しかしもしも部分的にでも一致するなら,少なくともその部分に関しては両者の間で本性の一致をみるのです。僕が受動感情が有用であると考えるのは,単にこの点にのみその理由があるのであって,それはどんな受動感情であっても同一です。憐憫という感情だけが受動感情のうちで特別に有用であると,僕は考えているわけではありませんので,その点にはご注意ください。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど (まぐろ)
2011-03-22 15:11:10
眼からうろこです。
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眼から (spinoza05)
2011-03-23 18:33:44
コメントありがとうございます。

僕にとってはスピノザの思想自体が
眼からうろこの哲学でした。
返信する

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