スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

川崎記念&感情の模倣の有用性

2008-01-30 19:56:36 | 地方競馬
 2008年最初の大レース,川崎記念。しかしヴァーミリアンとサンライズバッカスが出走取消となってしまい,生き物ゆえ仕方はありませんが,いささか興を削がれてしまった感じです。
 先手を奪ったのはフリオーソ。一旦は高知のケイエスゴーウェイが2番手でしたが,1周目の正面では外の2番手にアンパサンド,内の3番手にフィールドルージュと,有力馬が前に。ペースはスロー。
 向正面の中ほどからペースが速くなり,前の3頭と後ろの差が開いていきました。しかしアンパサンドは脱落し,替わってフィールドルージュがフリオーソの外へ並びかけて直線へ。フリオーソも粘りましたがフィールドルージュが楽に交わして優勝。フリオーソが2着で,アンパサンドの脱落にも乗じ,シャドウゲイトが3着に入りました。
 優勝したフィールドルージュは前走の名古屋グランプリに続く連勝で,大レース初制覇。曾祖母がメジロラモーヌ。今日はヴァーミリアンの取消,さらに強敵と目されたフリオーソを終始マークしてのレースと,多分に恵まれたのも事実ですが,フリオーソを競り落としましたので,現状の日本のダート競馬№2の座は確保したのではないかと思います。暮れの名古屋グランプリから年明けの川崎記念を連勝というのは,昨年のヴァーミリアンと同じパターンですので,今年はさらなる飛躍が期待されます。管理する西園正都調教師は2001年の阪神ジュベナイルフィリーズ,騎乗した横山典弘騎手は2004年の南部杯以来と,共に久々の大レース優勝となりました。

 人間の本性と有用性との関係は,もしあるもの,ここでいえばある受動感情があって,この受動感情が,受動における限りでの人間の本性を,部分的にでも一致させるように作用するならば,あるいはそうでなくとも,人間の本性を部分的にでも対立し合うことを解消させるような方向で作用するならば,この点において,そうした受動感情が人間一般にとって有用であるといい得るということでした。そこでこの観点から憐憫という感情を考えてみましょう。
 このとき,僕が重要であると思うのは,憐憫という感情が感情の模倣のひとつであるということです。つまりAはたとえばBが悲しんでいることを表象することによって自分自身も悲しみを感じるとき,Bに憐憫の感情を抱いているということになるのです。そこでこのとき,AとBを比較してみれば,まさに両者が悲しみを感じるという点では一致をみます。
 さらにこのとき,第四部定理五〇により,憐憫という感情はそれ自体で悪であるわけですが,この悪の対象として認識するものは,AとBで一致するでしょう。そこでこの対象をXと考えるならば,AもBもXという同一の対象によって悲しむということになります。いい換えれば,第三部定理五一におけるXという同一の対象からの刺激状態が,少なくともAとBの間では一致し,かつこの両者の間では,この点に関してのみはその本性が一致するということになります。したがって,一般的に感情の模倣というのは,少なくとも部分的に複数の人間の間での本性の一致を促進するような作用をなし,そのゆえに有用であるといい得るのではないかと思います。そして憐憫はこの感情の模倣の一種なのですから,この点において,憐憫は有用であるといえるのではないでしょうか。
コメント
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